フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
27-3・他者の競演/饗宴〜ダイアナ・ウィン・ジョーンズと同時代のファンタジーから-2
2005年6月27日発行読書運動通信27号掲載記事5件中2件目-2
特集:西村醇子先生講演会
ここからジョーンズの世界に入っ ていきます。
ジョーンズは、1974年に『The Ogre Downstairs』という
(未訳の)作品を発表しております。お父さんと子供たち、
お母さんと子供たちで暮らしていた家族が、親の再婚によって一軒の家に
住むことになり、お互いになじめずに、いがみあっています。
そういう状況のなかで、お父さんが与えた化学実験セットによって、
片方の男の子ともう片方の男の子の身体が入れかわってしまう、
というエピソードが入っています。要するに「入れかわり」の物語です。
人間同士が入れかわる物語というのは、古今東西たくさんあります。
それが男の子と女の子であれば、ここにまたジェンダーの視点も入るのですが、
この場合は、男の子同士です。そこから何がわかるか?
彼らは身体が入れかわることによって、相手の立場にされ、
いわば無理矢理、<モカシンを履かされる>わけです。
そのときにもうひとつ、身体の変容によって意識が変わるということを、
作者は描いています。男の子の一人、キャスパーは、
イギリス人らしく表情を出さない子なのですが、おなかのなかでは
色々考えています。そのために彼は誤解されていたということが、
相手がその体に入ったときに、はじめてわかります。
もう一人の子はもう一人の子で、兄弟たちにこういうふうに
見られていたということを知らされるのです。こういうふうに、
身体が、行動や思考に影響するということを、コメディーのなかで
初めて描いた74年の作品です。

この、魔法によって変身が起き、その変身によって他者性が
獲得されるということを、極端な形で表現しているのが、
先程お読みいただいた『魔法使いハウルと火の悪魔』における
主人公ソフィーに起きた変身です。これは1986年の作品ですので、
先程の『The Ogre Downstairs(一階の人喰い鬼)』という作品から
約10年あまり経っています。その間に作者もテクニックが増し、
プロットにしろ色々なところが高度になっています。
この変身に注目しますと、先程の作品では、変身は1組1回だけだったものが、
このなかではいくつも現れています。
ソフィーは長女で、下にレティーと母親の違うマーサという姉妹がいます。
父親の死後、母親は娘たちの身のふりかたを決めてやります。
レティーがパン屋へ、マーサが魔女のもとへ修行にやられ、
ソフィーだけが帽子屋に残る、これが最初の基本設定でした。
ところが知らないうちにレティーとマーサが魔法を使って
お互いの外見を取替え、居場所を換えるという、好き勝手をしていたとことが
わかります。これは自らの意思で、姿かたちと仕事を取り替えたものでした。
これに対してソフィーは、一八歳から老女へ、魔女の呪いによって、
被害者として変身させられました。レティー及びマーサとソフィーとの違いは、
妹たちが主体的であったのに対して、長女ソフィーは自分の意思と関係ない、
受動的な変身だった、というのが出だしなのです。
 ところが物語が進んでいくと、この老女への変身がソフィーにとっては
仮面というか仮装というものに変化します。彼女がハウルという魔法使いの城に
居座る口実に、そして本心にたいする隠れ蓑になっていくのです。
読んでいると、変身が居座る口実となり、そして最終的にはハウルと
ソフィーとの関係にまで影響していくことが見えてきます。
 先程読んでいただいた部分は、若い娘が老女になった時に
その身体に戸惑い、自分の身体をもてあますことを示していました。
この作品を書いたときの作者の年齢はたしか52歳です。
4、50代になると、誰でも身体に変化が起きやすくなるようです。
私も50代ですが、去年、家のリフォームをして、階段を
行ったりきたりした結果、膝の変形関節炎になってしまいました。
これはもう一生付き合っていかなくてはいけないものだそうで、
そうとわかったときは愕然といたしました。
この認識が、去年から今年にかけて初めて起きたことで、
ものの見方感じ方は身体に影響されるということを、私も追体験したわけです。
さて、ソフィーは、老人という身体を得たことによって、
今まで若い娘だからできないと思っていたことが、
おばあちゃんだから許される、と気付きます。
社会から若い女性ゆえに押し付けられていた、自己のセルフイメージから
解放されていくわけです。おばあちゃんになってはじめて、
今まで隠されていたソフィーの自己が表面に出てきたのです。
抑圧から解放され、元気なおばあちゃんとして、好奇心は旺盛になり、
色々なものを発見して、冒険を楽しんでいる、ハウルの城での生活を
楽しんでいる、というふうになります。
このとき、主観というものが相対的だということ、すなわち見方というものが
変わりやすいことも示されています。さっき読んでいただいたなかに、
四〇歳くらいの「若い人」という言い方がありましたね。
また、ハウルという魔法使いも、最初に会ったときには、
なんて素敵な人なんだろう、と思っていただけなのに、
老女になったソフィーは、
「なんだ、まだひよっこじゃないの」と、感じたのです。
困ったことに、そうやって暮らしていくうちに、ソフィーは、
老人の身体にあわせて、本心を隠し始めていく。
彼女の中で次の抑圧が起きていくのです。内面を外面に合わせて
しまうのですが、これはやはり困ったことです。
ところが、彼女がいわば老人の身体をまとっているに過ぎないこと、
老人が見せかけにすぎないということは、ハウルにばれ、
周りの人にばれていました。そのときソフィーは怒り狂っています。こ
れには恋愛が絡んでいるのですが、ソフィーがこういった仮装を
必要としなくなった時、老人から解放されて、またもとの若い娘に
戻っていく――これが彼女の変身の、最終的な結末になっています。
今、私は手短にお話ししましたが、このテーマについては、
岸野あき恵さんという、私もちょっとかかわりのある若手の研究者が、
論文集『ふたつの世界』(てらいんく)とのなかで
「老女になった少女の変身が意味するもの」というタイトルで
詳しい分析をなさっています。興味がある方は、どうぞ、そちらをお読みください。
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