フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
27-3・他者の競演/饗宴〜ダイアナ・ウィン・ジョーンズと同時代のファンタジーから-6
2005年6月27日発行読書運動通信27号掲載記事5件中3件目-6
特集:西村醇子先生講演会
さて、ジョーンズ以外の、最近の作品を二つご紹介したいと思います。
 ひとつめは『アブダラ』とジンつながりです。
集英社から出ている、P・B・カーの『ランプの精』
(Children of the lamp)という作品です。
ニューヨークに住む双子が主人公です。実は彼らの母親がジンだったために、
ある一定の年齢になった時にジンの能力がむくむくと出てきてしまい、
その能力の調整に苦労していく、そして砂漠に行って冒険するというお話です。
これは要するに、思春期になった時、私たちが自我をめぐって
葛藤するということをわかりやすく、13歳くらいでジンの性質が表れる
という形で示したものです。魔法を使わなくても、13歳くらいが
ひとつの転機となる物語はたくさんあると思います。
その年頃が、自我意識が目覚めてきて、今までの自分から
変化していく時期だからです。それを、ファンタジーではしばしば、
隠れた能力が目覚める、というように表現します。魔法はそれを
表す比喩になることが多いのですが、これもその一例です。
『ランプの精』の場合、変身や呪文の背景に物理学を
持ち出しているのがいかにも難しそうです。またイフリートと
戦うジンという設定には目新しさも感じますし、ウェスタンと
アラビアン・ナイトが合体した物語になっています。
でも、私のひいきのジョーンズに比べると、全体的に薄っぺらさは
否めないと思っています。

  もうひとつは『ウィッシュリスト』という作品です。
これは、ジョーンズ以外で、私の最近のおすすめファンタジーです。
作者はオーエン・コルファーといい、『アルテミス・ファウル』
という作品がベストセラーになったそうです。
アイルランドの作家によるアイルランド的だましの語りの入った、
非常に風変わりな作品です。物語の冒頭でいきなり主人公が死ぬ
というのがまず珍しい。しかも、死後の世界では天国行きか
地獄行きかを選ぶようになっている。映画には、
死者がこの世に思いが残っていて戻ってくる、という展開のものが
いくつもあります。これもそのパターンに属すると言えなくもないでしょうが、
なかなか一筋縄ではいかない物語です。
 主人公はメグという14歳の女の子です。詳しい身の上は冒頭では
わかりませんが、じつは母親の死後、一緒に暮らしていた義理の父親に
虐待されていました。父のもとを逃げ出したかった彼女は、
二つ年上のヴェルチという小悪党に、ある件で協力してもらいますが、
その見返りとして、今度は彼の強盗の手伝いをする羽目になる――という
アンモラルな話です。ところが小悪党のヴェルチが強盗先に連れて行った犬が、
被害者宅の老人を襲います。被害者のラウリー老人は
もともと心臓が悪かったため、ショックでおかしくなってしまう。
それを見たメグは、口は悪くても心が優しいので、老人を助けようとする。
しかし邪魔をされて頭にきたヴェルチが銃をぶっぱなしたところ、
それがガス管に当たり、ヴェルチとメグが即死したわけです。
このとき、老人だけは助かっています。さて、天国と地獄の境で、
ヴェルチはまっさかさまに地獄行きとなりますが、
メグは最後に老人を助けようとしたことで、彼女のなかの善と悪が
等量になっていました。そこでもう一回現世に霊魂として戻され、
償いをしてくるようにと聖ペテロに命じられるのです。
一方メグの魂を手に入れ損なった悪魔たちは、手を変え品を変え、
その妨害工作をおこないます。たとえば、犬と合体したヴェルチが
妨害しようとしても、犬の身体の悲しさで、なかなか上手くいかないとか、
コンピュータおたくのイシイという日本人が出てきて邪魔をするとかです。
ここでも日本人は「コンピュータおたく」というレッテルを貼られて
「他者」にされていますね。
現世でメグは何をするか。かろうじて生き残ったものの、
ラウリー老人は、自分はなんて嫌な奴なんだろうと思うようになったのです。
そして、自分の人生にもやり残したことが四つあると気付く。
メグは老人の4つの「ウィッシュリスト」の実現を手助けするわけです。
悪魔側から邪魔されつつ、4つの項目にからんでアイルランドでの
珍道中が繰り広げられていきます。天国と地獄の攻防を交えた、
奇妙にも今日的な物語です。いじめや虐待に、アイルランドの観光案内という
側面も加わる。最後のほうでは、彼女のおこなった仕返しの中身も明かされ、
最終的にハッピーエンドとなります。問題児と思えた子ども(メグ)にも
それなりの理由があったことを含めて、現代の子どもの隠れた側面を
明らかにしている、優れたエンターテインメントの物語だというふうに思います。

いくつかのファンタジー作品を取り上げ、「他者」というものの色々な
側面を拾い上げてきたつもりです。最後に講演タイトルについて、
言い訳というかご説明をいたします。
最初の「共演」という言葉は、主役格以上のものが二人以上一緒に出演する
ことをさします。私は、「主」だけでなく、「主」と「他」とが一緒になって
いろいろ活躍しているような物語、ハウルとソフィーとか、
三人の子どもたちとか、そうした人々が一緒に活躍する、
共演の物語を並べることを考えました。少し華やかに、
皆さんに楽しんでもらいたいという意味合いを込めております。
講演というと偉そうですが、「プレゼンテーション」とは、
皆さんをもてなすものでしょう。そして、字面の華やかさに惹かれて、
もうひとつ「饗宴」という言葉を付け加えたものです。
子どもの本を読むという行為は、私たちにこういった形でさまざまな
「気付き」を与えてくれます。そして私たちに、価値観がひとつだけではない
ということ、ものの見方をひろげることがどれほど難しいか、
でもやりがいがあるということを、実用的に教えてくれます。
そういう作品の読みを、ぜひぜひ楽しんで欲しいと思います。
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