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07-2(4)・東洋英和女学院大学教授 与那覇恵子先生講演会 「現代を生きる女性たち」 |
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2003年7月31日発行『読書運動通信7号』掲載記事2件中2件目(4)
*2件目の記事は(1)〜(8)まであります。
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●自分自身の満足●
それと同じように、『火車』の中ではそこまで極端ではないんですけれども、
現在の自分自身からちょっと変わりたい。万引きをする女の子っていうのが
出て来ます。この作品は直接……先ほど読みましたカード破産の問題を扱った
作品ではあるんですけれど、その中で何故こういうことが横行するかという
ことで……本間俊介って言いますのは刑事です。カード破産をして失踪して
しまった女性、その女性に成り代わって殺したらしいもう1人の女性を追う
本間俊介って言う刑事が出て来るんですけれども、その刑事がかつて自分が
若い頃に捕まえた万引き常習犯の少女のことを思い出す場面があります。
ここをちょっとまた読んでみます。
−−万引き常習犯の少女のことだった。語弊のある言い方ではあるが、
腕のいい女の子だった。仲間の密告がなければ、まず捕まることなど
なかっただろう。若者向け高級ブランド専門に荒稼ぎをしていた彼女は、
しかし、人前で盗んだ洋服を身につけることはなかった。かといって、
足がつくのを恐れたわけではない。自宅の自室で、ドアに鍵をかけ、
誰の目にも触れる恐れがないようにして、大きな姿見の前に立ち、
とっかえひっかえ着てみるのだ。あれこれとコーディネイトを工夫し、
洋服だけでなく時計やアクセサリーまできちんと組み合わせ、
ファッション雑誌のモデルのように着飾ってポーズをとる。ただ姿見の前だけで。
そこなら、似合わないねと言われる心配がないから。そして、表を歩くときは、
いつも、膝の出かかったジーンズをはいていた。
誰もいないところでだけ、自己主張をする。負い目があるとそうなるのだと、
悟ったような気がした。−−
この「負い目があるとそうなるのだと悟ったような気がした」っていうのは
刑事の考えなんですけれども、彼女の場合には「似合わないね」と言われる
心配がない。ですから、先に挙げました4人の女性たちは美しい、他の人たち
から見てもちやほやされる。ところがこの万引き常習犯の女の子は、色々なもの
を買う。このアクセサリーを付けてみたい。この洋服を着てみたい。
だけどそうしますと、あんたなんかには似合わないわよと言われてしまう
可能性がある。それは先ほど朗読してもらいました「ドルシネアにようこそ」、
六本木のディスコですけれども、その六本木のディスコに行くには
それなりの服装をしていないと入れないというような噂が蔓延していて、
それで伸治という男の子はいつもダサい格好をして、速記の勉強をしている子
なんですけれども、絶対にドルシネアに入れないようなタイプの男の子って風に
設定してます。それが駅の掲示板に「ドルシネアで会おう」とあたかもそこに
自分が行くようなことを書き続けている。それに対して、先ほどのカードで
お金をどんどん使って遊んでいる女の子が居て、その書いている男の子を見て、
「来ないのにいつも書いてる」という風にからかう。「来られないあなたと
私とは違うんだ。そんなダサい格好で来られるはずないじゃないか」という、
そういった、一方でお金を得て人生を変えようとする女性たちが居るとしますと、
それを表には出さないけれども、自分の意識の中で、本当はこういうこともしたい、
こういうこともしたい。伸治も1度で良いからディスコに行ってみたい。
でもなかなかそれは叶わない。自分の全部を変えなければいけない訳ですから。
彼がそれでどうしてもドルシネアに行きたいということになりますとそれこそ
そこに合う服装をする為にローン、お金を借りるかもしれない。そうするとまた
転落する小百合と同じような形になってしまうんですけれども、この『火車』の
女の子の場合はそのお金がないわけですから、自分で万引きをする。だけど
万引きをしても周りの仲間たちが見て「それであなたは変わらない」っていう
ことですよね。似合わないっていうふうにどうせ言われるのがオチ。だから
自分の小さな夢の世界に浸る。着ている自分っていうのは、恐らく他の人間が
見るよりは自分自身が満足出来る。でも自分自身の満足は飽くまでも「万引き」
っていう形でしか行われていないというふうになる訳です。
●ブランド物によって●
ですから、彼女はお金がないのですけれども、お金の代わりに万引き
という形で自分のささやかな幸せというものを得ようとする。でも結局
それは捕まってしまうというふうになる訳ですけれども、ここでも、
本人自身は恐らく、そうやってブランド物を身に付けることによって
美しい女性に変身してるという風に思っているかもしれません。
ですけれども外部の目はそうではない、というふうに彼女自身は考えていて、
家の中だけで自己主張する。刑事の目は「負い目があるとそうなるのだ」と
いうふうに、考えているわけですけれど、その「負い目がある」というのは、
やはり自分自身に自信がない。私は美しくない、似合わない、ですから
こういうかたちでしか自己主張することができない。それもですね、
似合わない、似合うというのが、常にその他者の視線、自分自身で
これでいいのだというふうに考えているのではなく、ブランドものとかを
着れば、それなりの女性に見えるかもしれない、というふうに思う。
にもかかわらず、でもそれを着ても、友達同士は全然似合わないと
いうかもしれない。そういった自分がこれを好きだから買う、
好きだから着るというのではなくて、それを身につければ、
ブランドものを身に付ければ、一定のレベルになれるのではないか。
本人自身は姿見を見ながら、満足しているんだけれども、でも、
もしかしたら、外部の目は違うのではないか。
●二分法を超えて●
そういうふうに思う女性の心に対して、本間俊介というのは、彼女自身に
同情を持っているわけなんですけれども、社会がそういうふうに、美人である、
美人でない、似合う、似合わないというふうに女性を分けてしまう。それから
今言いましたように、ディスコに入れる人間、入れない人間、そういうふうに
差別化してしまう。それはお金がある、ないということに大きく左右されている
ということがここに出ているというふうに思います。
先程も六本木のディスコで派手に遊んでいるにも拘らず車ではなく地下鉄で来る。
そういったところにも、本当の金持ちは車で来て、結局なけなしのお金で着飾って
いる人間ていうのは地下鉄、という。本当は地下鉄で来るようなお客は本来の噂に
なっているドルシネアの常連客ではないはずだっていうことで、伸治は逆にその
女の子に対して深い同情を持つっていう場面があります。ただあの作品は、お店
自体を持っている女性は「1週間色々働いてお金がない。だけれどもちょっとした
息抜きにこのディスコに来て欲しい」という、経営者はそう思ってるんだけれども、
経営者の意図とは別に、そのお店自体はそういう形でダサい格好は駄目とか、
そういうような客同士の中での差別化が起こって、そういう噂が流れていくと
いう皮肉な現象になっている訳ですけれども、経営者はそうではないということ。
それは宮部みゆきが色々な作品、彼女の場合は庶民の視点に立つというのは
良く言われてますけれども、庶民が寛げる場所としてここは、庶民と言いましても
働く、お金の余りない若い男女が寛ぐ場所として開かれたディスコなんだけども
そうではなくなってしまった。経営者はそうしたい。そこに伸治が速記を受かって、
最後の駅の掲示板のほうに「ドルシネアにようこそ」という風に、ここは
あなたたちに開かれているんですよというようなことでこの作品は閉じられるん
ですけれども、なかなか現実はそうではない。現実はそうではないんだけれども、
宮部みゆきはそういった人たちの……あとのほうにも人情というような言葉を
書きましたけれども、人と人との繋がりって言うんでしょうか。差別化して
外見とかそういうものではなくて、寛げる場所を提供する大人も居て、
そこに若者たちが行ける。そういうようなことを小説の中で夢見て、
表現したのではないかなという風に思いました。ただ現実ではそうではない
っていう部分も出て来ます。
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