フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
07-2(6)・東洋英和女学院大学教授 与那覇恵子先生講演会 「現代を生きる女性たち」
2003年7月31日発行『読書運動通信7号』掲載記事2件中2件目(6)
*2件目の記事は(1)〜(8)まであります。
●差別化する「幸せ」●
 それに対して一方で、別の幸せということ。これもこの作品の中には
出て来ていまして、自分の好きなことをするという男性が居るんですけれども、
その男性は小さい時から自動車が好きで、車の色々な修理をするのが好きで
それでやっぱり父親が自動車修理工場を持っているのでそこで働く。
それに対して何の疑問もなく一生懸命働いてそれで幸せを感じている。
その妻の台詞なんですけれども、彼女自身はOLをしていたんですけれども
結局辞めて、花のOLと言ってもそれこそお茶汲みぐらいしかなかった。
それで故郷に帰ってきてその男性と結婚して、子供が産まれるってところ
なんですけれども、その彼女のところにかつての同僚から電話が掛かってくる。
色々な話をしてて、「今どうしてるの」と聞かれたので「子育てで大変よ」
って答えたら、その女性が舌打ちをしたと。

−−ちょっと絶句しちゃって。『結婚したの?』って。
あたしが、『そうよ。未婚の母なんて嫌だもの』って言ったら、黙っちゃってね。
それからは、話もぶつぶつ途切れちゃって、最後には、
なんか唐突な感じで切られちゃった−−

 ていうふうにあります。

−−たぶん、彼女、自分に負けてる仲間を探してたんだと思うな−−

 っていう風にその女性は分析する訳です。ですから、今会社で自分が
あまり幸せではない。そうしますと、自分より幸せじゃない女性を
探してそれでちょっと優越感に浸ろうとする。そういうような幸せっていうのも
女性たちがお金で買える幸せ、幻想ですけれども、それともう一つは、
今会社で置かれている自分の状況が良くないと、自分よりもしかしたら
彼女は田舎に帰ってどういう惨めな生活をしているかもしれない。
そういう女性に電話して自分の華やかな都会でのことを語って、田舎は
嫌なんだよね、という言葉を聞いて安心する。そこに幸せを感じるという、
女性同士の競争心。そういうような幸せの捕まえ方という、相手を……これも
一種の差別化と言っても良いと思いますけれども、相手より少しだけでも
自分が上だと思える状況。それは自分自身の幸せっていうもの、本来の、
何を自分が求めているのか、何のために生きているのか、
ということが逆に分からない。比較して、「あの人より良い物を着てる」、
「あの人より少しお給料が良い」、「あの人より何とか」。こういう比較の
状況の中で、自分のランクを保ち続ける。そういった形でしか幸せっ
ていうものを見つけられない女性たちっていうものが宮部みゆきの作品の中には
たくさん登場してくるかと思います。
それが特に若い女性たちに多いということですね。

●今の自分でない「何者か」●
 そういった幸せっていうもの、物を含めてなんですけれども、
それが錯覚に過ぎないというようなことを、ここは本間俊介の
言葉になりますけれども、そういったその女性たちが陥っていく
状況というものを分析しているところなんですけれども、

−−本間は考えた。関根彰子は子供時代から幸せを実感したことが
なかったのかもしれない。だから、昔の自分、今の自分ではない
「何者か」になるために、いつも焦っていたのだ。
それは、たまたま彰子が母子家庭の出身だったからとか、学校の成績が
良くなかったからだとか、そういう個別の要因から生まれた焦りでは
なかったろうと、本間は思う。それは誰もが心の中に隠し持っている願望であり、
生きる動力となるものであり、それこそが一人の「個人」であることの証拠なのだ。
関根彰子は、その願望を果たすために、あまり賢明ではない方法を選んだ。
「あるべき自分」の姿を探す代わりに、そういう姿を見つけたような
錯覚を起こさせてくれる鏡を買ったのだ。
しかも、プラスチックの砂上の楼閣の上に住んで――

 ということで、かつてはそういった母子家庭であるとか、
あまり成績も良くない、でもそういったコンプレックス、
あるいは劣等感というものが、自分自身を変えていく。
自分を新しい道に導いていく方法であっただろうと。
これはかつてということで本間は言ってる訳なんですけれども、
それがそれぞれの個人であるということ、1人1人が個別で
違っているということの意味。それぞれがそういった状況の
中から自分の人生とか行き方っていうものを探し出していくん
でしょうけれども、その、「こうなりたい自分」。母子家庭でもない、
貧しくもない、頭も良くない、そこから抜け出す自分っていうのは
どうあるべきか、という時に、彰子の場合は結局物を買う。
色々な物に囲まれて生活する。そちらの方に行ってしまった。
これが、本来批判するのがとても
容易いということもあるん
ですけれども、状況として様々な情報が流されている訳なので、
そういった情報から遮断はなかなか出来ない訳ですね。
そうしますと、その情報が「こうすればあなたは幸せになれるんですよ」
「こうするととても良い生活が送れますよ」っていう風に言われると、
「ああそうなのかな」って思ってしまうことも当然あるだろうと。

●批判と同情●
 本間はそういう風に思い込んでいってしまう女性たちに、方法は間違えて
いるんだけれども、一種の哀れさを持っていまして、必ずしも批判的ではない
というところがあります。批判的だっていう風にすれば、顔が良くて親も居て、
一定のお金があるにも拘らず、お金を、更にそこの状況から上を目指そうとして
人を騙す女性たち、っていうことで『魔術はささやく』というのがあると思います。
ですからここでは、些細な、ちょっとした自分の楽しみを得ようとして、どんどん
どんどんカード破産に追い込まれていく女性にちょっと同情的ではあります。
この話は2回目、前回、前々回で出てるかと思いますので、所謂制度自体の
問題ですよね。彼女たちのちょっとした買い物というものが大きな利息がついて
いつの間にか離れられなくなってしまう。カード破産の状況になってしまう。
そういった制度のありようを批判しているのが『火車』では強いと思います。
 物によって幸せを得られるという風に考える若い女性たちの意識について
同情的でありながら、少し批判を持つという風にも言えるかもしれません。
先程のブランド品で身を固めるということとも全部繋がってくるんですけれども、
全体の流れを見ていきますと、金で買えるっていった時に全て物、それから外見、
整形手術をするとかですね、お化粧をするとか、ブランド物で身を固める。
それから自分の周りに有名なブランド品を置くとかですね。
Copyright(c) 2000-2006, Ferris University Library. All Rights Reserved.