フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
07-2(7)・東洋英和女学院大学教授 与那覇恵子先生講演会 「現代を生きる女性たち」
2003年7月31日発行『読書運動通信7号』掲載記事2件中2件目(7)
*2件目の記事は(1)〜(8)まであります。
●オプショナル・ツアーのない人生●
 それは外見を重視する意識っていうのが強いという風に言って
良いと思います。人にどう見られるかっていうことへの意識ですね。
これはある意味でユーモアを持って描かれたのが『人質カノン』って
いう作品なんですけれども、ここではですね、遠山逸子っていう女性が
出て来まして、彼女の入ったコンビニにコンビニ強盗が入って、そこで
強盗にコンビニの社員が脅されて彼女たちが動けなくなるというところ
なんですけれども、そのコンビニ強盗に色々と脅されていながら、彼女が
こういうことを言うところがあります。ハイヒールなんですけれども、
犯人がピストルを撃って、鏡が割れたっていうところがあるんですけれども。

−−ローファーを履いていてよかったと、逸子はちらっと思った。
お気に入りのパンプスでなくてよかった。あれを履いてこんなところを歩いたら、
踵が傷だらけになってしまう――

 という、自分の命が危ないかもしれない。そういった時にお気に入りの
靴のことを考えてしまう。ですから、物が大事と言うのが咄嗟に来てしまう
という女性の意識と言うんでしょうか感覚と言うんでしょうか、そういったものが
この作品の中にはユーモアを持って、それを批判的にではなくて、この逸子と
いう人は勿論命より物が大事だと思っていませんけれども、やっとの思いで
買ったとか、ここにはそういった説明はありませんけれども、それが彼女に
とってのとても大事な物の1つであるということでパンプスの話が出てくると
思います。もう1つはこういう風に書いてます。

−−ふと、考えた。あたしだって、今ここで撃ち殺されたとしても、
べつに誰も困るわけじゃないんだわよね――と。
仕事は誰かが引き継いでくれる。どうせ、逸子でないとできない仕事など、
ひとつも任されてはいないのだ。少しのあいだは同僚たちも悲しんで
くれるだろうけれど、それもどのくらい続くものか……。目立ちたがりの
聡美など、被害者の同僚としてマスコミの取材を受けることができて、
ちょっぴり喜びさえするかもしれない。
故郷の両親は、もちろん、気も狂わんばかりに悲しむだろう。
だけどそれだけではやっぱり、寂しい。「親」しか関わってくれない人生なんて、
オプショナル・ツアーのないパック旅行みたいなものだ。
「せめて、もうちょっといい場所で人質にされたかったな」と、
思わずため息が出た。「自由が丘とか下北沢とかさ。
ああいう町のコンビニとか飲み屋とか――

 というようなことで、ここでもその場所。どこに自分が居るかということ。
そういったつまらない場所で死ぬのではない、人質になるのではなくて、
華やかなところに居たいという、そういったところも、1つ、命と言うよりも
マスコミでもしかしたら生き延びた時にも取り上げられるかもしれない。
あるいは死んだとしてもそれが書かれるかもしれない。どうせ書かれるなら、
華やかなところで、と言うようなところが全体に流れてると思います。

●人間関係の希薄さ●
 ですから、外見とかそういったものを重視する意識というのが宮部みゆきが
考える80年代90年代の若い女性たちに一貫して流れているものだという風に
言って良いと思います。ここで最後の方で本音では虹を求めるっていうのは、
でも両親が自分のことを凄く心配して考えてくれたということで、
「オプショナル・ツアーがなくても良いわ」って発想があるんですけれども、
そこにはやはり人と人との繋がり、それから、コンビニについても犯人が
誰かというのが後で分かるんですけれども、もうちょっとみんなが
相手を見ていたり、人間関係……おはようとかこんにちわとか町の自営業の
商店のように話し合っていればこういうコンビニ強盗も起こらなかっただろうし、
また起こってもすぐ犯人は分かっただろうというような形で、都会の、
人と人との関係が希薄な上に物とかそういったものに心が惹かれてしまう
ということも含めてなくなっている「人情」、関わりがあればもっと違った
人生がそれぞれの女性たちも歩めるのではないかというようなところがあります。
これもほかの作品にも色々出てきます。

●「人情」を求めて●
 宮部みゆきがそういう、時代物とかも含めて人と人との繋がり、
人情を求めるというのは彼女の作品に一貫して流れているのでは
ないかなと思いますけれども、そういったところがこの『人質カノン』
の中にはちょっと出てきます。
 それから裏切られてしまう女性ということで「返事はいらない」と
「生者の特権」というのを出しました。ここには男性のエゴイストと
言いましょうか、結局結婚をする時に両方二股をかけていて、良い方を
選んでしまう。それで捨てられてしまう女性の話なんですけれども、
その女性たちが立ち直っていくという小説です。ここでも結局愛情を計っている。
ですから何人かの女性たちと付き合って、これは女性の中でもあるんですけれども、
「返事はいらない」の方で羽田千賀子も何人かの男たちを自分の同僚たちと競って
最終的に結婚する相手を見つける。女の人たちもその男性が好きだからと
言う訳じゃなくて外見が良い、見栄えが良いということで男を選ぶという
こともあります。それはやはり「物」として、と言うのでしょうか。
一緒に居て他の女性たちから羨ましがられるという気持ちもあると、
いう風になると思います。男性の場合は相手がお金持ちであったり、
その女性の父親が会社経営をしているだとか、そういったことで選ぶ。
ですから、お互いにどちらがより得かっていう形で恋人同士になって
いるというのがこの作品の中にはあります。
 ですけれども、そういうことを通して、結局ほかの女性を選んだということで、
残された女性たちは、そこから立ち直るというのがこの作品です。
 これは『地下街の雨』という作品でもそういうふうになっています。
そういった意味で、恋愛にも、競争とか、どちらを選んだ方が得かと
いうふうな損得勘定が働いているのだということが描かれています。
   
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