フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
07-2(8)・東洋英和女学院大学教授 与那覇恵子先生講演会 「現代を生きる女性たち」
2003年7月31日発行『読書運動通信7号』掲載記事2件中2件目(8)
*2件目の記事は(1)〜(8)まであります。
●自力で戦うしかない女性●
 もう1つの「自力で戦うしかない女性」というのは、『火車』を前に
読んでいると思いますけれども、自分自身の落ち度ではなくて、
親のローンの返済ができなくなって、家を追われ、やくざに追われる
生活をしていて、自分自身をまもるために、先程の関根彰子という
女性を殺して、彼女になりすましていくという話なんですけれども、
この女性に対して、先程の本間俊介という刑事は、

−−彼女は他人の戸籍を盗み、身分を偽り、それが露見しそうになると、
目前の結婚を蹴って逃げ出している。
何が目的なのか、何があったのかはまだわからないが、その行動が、
いわゆる恋愛のため、男のため、情欲のためではないことは確実だ。
(略)ただ、自分のためだけに。そういう女だ。そしてこういう女は、
たしかに、十年前にはまだ社会のなかに存在していなかったかもしれない。−−

 というふうにあります。ここではもちろん、カードローンが返せず、
一家離散して、彼女自身がそういった性的なところで働かされてきたと
いうことがあるわけなんです。そこでは、いい洋服を着たいとか、
いい結婚をしたいとかは一切なくて、とにかく生き延びる、制度が自分を
守ってくれないという状況、それから、誰も頼る者がいないそういった状況、
家族も友人も誰も頼る者がない、そういった中で、どういうふうに生きていくのか、
生きるためだけに、生きている、そういう女性として、この新城喬子という女性は
出てきます。

●非情になれない●
 ですから、本間という男性は彼女が殺人を犯したかもしれないけれど、
そういった誰にも頼らずに、逆に言うと頼る場所がなくて生きている
女性というのを、どうにかしてやりたいという思いに満ち溢れた
存在として出てきます。もう1つこの女性が非情になれないということが
ありまして、結局自分が殺した女性のアルバムを友達に送ったとか、
彼女が話しを聞いて、自分が可愛がっていた十姉妹を葬ったところに、
自分を埋めてほしいとか、そういった話をしていて、そこにもまた
「人情」というのが出てくるんですけれども、その人情にほだされて、
アルバムを送ったり、それからその彼女が埋められたいと言っていた
土地を見に行ったりして、そこを訪ねるところから足がついて、
新城喬子だっていうことが本間俊介などに分かられていくんです。
 彼女自身も「1人で生きる」人を殺しても、自分がその人間になりすまして、
新しい戸籍を得る。そのためには、一切の痕跡を残さないというような、
非情になれないというような女性として描かれています。
そこらへんも、宮部みゆきの特徴です。

●桐野夏生作品と比べて●
 桐野夏生の作品で『OUT』というのがある、『OUT』の場合は、
友人の夫を殺して、その夫を主婦たちがみんな始末していくという、
結果的には殺人請負人というかたちになってくるんですけれども、
そこには一切の感情を排除して、自分が生きたい、自分がこういう人生も、
夫婦にも、親子にも全然愛想が尽きている女性というのが主人公なんですけど、
すべての人間関係を断ち切って非情に生きていく。
 お金を得るためには殺人をして、その死体を解体するというのも
全然厭わない女性として登場する。ここにも、新しいタイプの誰にも
頼らずに1人で生きていくという女性が登場しているわけなんですけれども、
桐野夏生の主人公のように、宮部みゆきの場合には、どうしても、
非情に成り切れない。桐野夏生の場合は、うまく警察も騙して、
逃亡していくんですけれども、宮部みゆきの『火車』では、最終的には、
彼女は捕まってしまうだろう、というふうに表現されています。

●人と人との繋がり●
 ここに1つの救いというんでしょうかね、こういう色々の物・お金など。
新城喬子の場合には、自分自身の落ち度というわけではないんですけれども、
そういったお金が払えなくて、転落していく女性、そういった女性たちを
結局最終的に救っていくのは、人と人との繋がりなのだというのが、
宮部みゆきの視点なのではないかなと言う気がします。

●模倣犯の女性観・男性観●
 時間がありましたら、皆さんにお聞きしたかったんですけれども、
『模倣犯』で、女を性的な対象としてだけ考える男たちを変えていくことが、
犯罪を減らしていくという意見が出ています。それから、女性の物に頼るか、
男性に頼るかという女性像というのが、女性たちが描かれているのですが、
そういったことに対して、何か皆さん意見がありましたら、そういった
風潮が出てきているのかなということを、小説の中、あるいは、
現実の様々な女性たちを見ていて、皆さんは感じたことがありますか。
私の方から、『模倣犯』を含めて読んだ方に質問したいと思います。
 大急ぎでまとまらない話になってしまいましたけれども、金と物によって
自分の人生が変えられると思う女性たちが80年代、90年代にとても
増えてきたということが一つある。メディアに毒された、ただ毒された
というだけでなくて、操られた女性たちのささやかな「夢」というものを、
どういうふうに取り上げていけるのだろうか、ということを、
今後も考えていきたいと思っています。
 宮部みゆきは女性たちの愚かさ、浅薄さも含めて、そうしたありかたに
必ずしも批判的ではないところから、一方で共感を持ちつつ捉えているところに
特色があると思います。
(東洋英和女学院大学教授 与那覇恵子)

*いかがでしたか。今日の新しい角度から捉えられた、
清新な宮部みゆき論でしたね。今年度のテーマ
「宮部みゆきーミステリーの中の〈社会〉と〈現代〉を読む」に
ふさわしい内容でした。毎号みなさんにいただいている
「私の宮部みゆき」欄と合わせて、小さな冊子を作ろうかなと
計画しています。我と思わん人は、名乗りを上げてください。
mitamura@ferris.ac.jpまで、ご連絡をお願いします。
締め切りは2003年12月末です。
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