フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
2005年度第2回講演会:中世英文学・中世北欧文学に基づくTolkienのファンタジー.-1
2005年6月30日(木)
緑園キャンパスチャペルにて
講師:伊藤盡先生(本学非常勤講師)
*この記事は1〜3まであります。
 皆さんようこそいらっしゃいました。
 今日は、伝統や伝承、もしくは伝説といったものが、どういう経緯
で人々に伝えられ、そして忘れ去られるかということ、つまり伝説の
系譜についてお話するつもりです。

・伝説と文献:伝説を研究する`philology`=文献学

 皆さんはこの講演中に色々な耳慣れない言葉をお聞きになることで
しょう。それをキーワードとして、その不思議な言葉の感覚の中に遊
んでいただければ幸いです。
 言葉が残す物語、それは実は当たり前ではありません。日本人にと
ても馴染み深い「おはなし」、「むかしばなし」という言葉には、
「話す」という行為を表す動詞が含まれています。また「ものがたり」
という言葉には「語る」という行為を示す動詞が含まれていますが、
それに気付く人はあまり多くはありません。そしてすぐに「ものがた
り」というものは「本に書かれたお話だ」というようにまとめてしま
うことも多いのです。なぜならば、実際私たちの日常で「ものがたり」
や「おはなし」を本の形以外で目にする機会はあまりないからです。
 私は大学で研究したり、教えたりする職業にありますが、この「今
更ながらに疑問に思う」というのが実に面白い経験であることを知っ
ています。それまで自分が見ていたものとは違う世界が見えてくる一
瞬です。本の形になっている「おはなし」というものが、実は、話さ
れてきたものを書き残した文献なのだと考えるとき、今日、皆様に覚
えて帰っていただきたいキーワードがみえてきます。
 それは、英語で「philology(フィロロジー)」といいます。耳慣
れない言葉ですね。けれど皆様は、「philosophy(フィロソフィー)」
という単語ならご存知のことでしょう。「哲学」ですね。「philology」
という言葉はその言葉と似ていますね。同じ「phil-」すなわちギリ
シャ語の「愛する」という言葉を含んでいるからです。「philosophy」
は「sophia(智恵)」を愛する学問という意味、そして「philology」
は、「logos(言葉)」を愛する学問という意味になります。
「philology」は日本語で「文献学」と訳されています。この「文献
学」という言葉も英語と一緒に持ち帰り、今日のお土産の言葉として
いただきたいと思います。

・トールキンの「イングランドのための神話」

「philology」という言葉は、『The road of the rings』の著者、
トールキンの「creativity(創造)」と「imagination(想像)」の
一番大切な土台でした。
 文献学とは、言葉の使い方、使われ方を学び、その意味を理解するた
めに、さまざまな文献資料を比較検討し、文献・文学・言語の三つをひ
とまとめにした学問です。「文献を読む」という作業では、書かれる前
の言葉もあった、ということを考えねばなりません。トールキンの「世
界」は、何の根拠もなしに構築されたわけではないのです。彼には、そ
の発想の元となるものと、目指すべき目標がありました。失われた言葉
によって表された「世界」には、美しさや悲しさ、恐ろしさが存在して
いたこと、それが発送の元で、一度失われてしまったそれらのものをも
う一度見てみたいという願望が目標でした。その根拠と目標から生まれ
たものが『指輪物語』なのです。
 さて、トールキン自身は根拠や目標を、どのように言い表しているの
でしょうか。
 彼は書簡のなかで次のように語っております。
「たわごとだと思われないといいのだが、私は幼い頃から、私の愛する
国イングランドの貧しさを悲しんできた。イングランドにはその言語と
土地と結びついた、独自の物語がないのだ。ほかの土地にはさまざまな
伝説があって、私が求め、認めた質の高い独自の物語が、ギリシャ語、
ケルト語、ラテン語系諸語、ゲルマン、スカンディナヴィア、それに私
に大いなる影響を与えたフィンランド語にはある」
 さらに言葉をつづけて、トールキンは次のように言います。
「けれど、イングランドの言葉である英語には、子ども用の安物本に掲
載されるような貧弱なお話を除いては、なくなってしまった。もちろん、
今も昔もアーサー王の世界はあるし、それはそれで力強い伝説だが、完
全にはこの土地や言語にはなじんでいないのだ。いや、ブリテン島とい
う土地とは関わりがあっても、イングランドの言葉とは関わりが薄いし、
失われてしまったと私が信じるものの代替物にすらなっていない」
 この手紙の後半では、トールキンはさらに次のように言っています。
「どうかお笑いにならないで戴きたい。かつて私は大きな、宇宙論的な
伝説から、ロマン主義的な妖精物語のような伝説にまで、多かれ少なか
れ関連し合うような伝説体系を作り上げようなどと思ったもので、しか
もそれをただイングランドに捧げようと願ったものでした」
 さてこの「イングランド人のための神話」について、トールキンの伝
記作者のハンフリーター・ハンフリー・カーペンターも、言葉を重ねて
次のように言います。
「彼には『イングランドのための』神話を創造したいという望みがあっ
た。まだ大学学部生だった時、トールキンは、フィンランド人の神話
『カレワラ』について自分の望みをほのめかす言葉を記した。『私はこ
のようなものを私たちがもっと残していたなら、イングランド人のもの
であるような、これと同様の何かがあれば、と願ったのです』」
 ここで言われている『カレワラ(kalevala)』とは、フィンランド人
のエリアス・リョンロートが、フィンランドのカレリア地方に伝わる民
族歌謡を取材し、それを1831年から1849年にかけてまとめた、神話歌謡
の全集と呼ぶことのできる、フィンランドの国民的神話叙事詩です。
 これは、すっかり失われる以前のフィンランド人のもっていた神話や
伝説を集めており、フィンランド国民のアイデンティティに直接かかわ
るものとして、現在も人々に読まれ続けています。
 トールキンは大学に進む前、キングエドワード校の最終学年で、『カ
レワラ』の現代英語訳に出会いました。フィンランド人は他のヨーロッ
パ人とは人種が違いますが、『カレワラ』は、彼らが大地に根ざそうと
する歌であり、歌を歌うことがそのまま力ある言葉となって、大地を動
かしたり、風をおこす魔法の歌となったりする、神話時代の英雄の物語
でした。
 ところで、イングランドには本当に神話はなかったのでしょうか。ブ
リテン島の先住民は、ブリトン人です。イングランド人とはやや趣の異
なる民がこの島には住んでいたのです。ブリテン島は海を隔ててノルウ
ェイ、アイスランド、デンマーク、スウェーデンなどの多くの国々と隣
り合っています。北海沿岸に住む人達には北海文化圏と呼ばれる共通す
る文化や伝説がありました。ブリテン島に渡ってきたイングランド人こ
そ、その伝統文化の流れを汲む一派なのです。この伝統文化の流れは、
一般的にはゲルマン文化と呼ばれ、南のドイツも含めた広大な文化圏を
作っていました。アングロサクソン人は、既にキリスト教に改宗してお
り、文字をしたためることができました。その最も古い記録は紀元前1世
紀のタキトゥスが書いた『ゲルマニア』という書物にまで遡ります。そ
の第2章には次のような意義深い一節が記されております。國原吉之助氏
の訳で引用しますと、
「ゲルマニア人にとっては歌謡は記憶を伝え、記録を保存するただ一つ
の方法である」

・イングランドに神話はあったか?

 イングランド人も含むゲルマン人は、もともと文字で伝説を書き残そう
とはしませんでした。ヨーロッパにおいては、ギリシャやローマなどの文
字をもった文化を除き、ほとんどの文化が歌や口承によって伝えられてき
たと言えるのです。最終的には文字に書き残されたギリシャ神話やローマ
神話でさえも、その始まりは口承物語でした。つまり、タキトゥスの描い
た1世紀のゲルマン人の文化は、当時既に文字をもっていたローマ人からす
れば「外国人の変わった文化」と見えたことでしょう。
 イングランド以外の神話も、先ほどの『カレワラ』の例からも分かると
おり、後世になって文字を獲得した人々が書き残し今日まで受け継がれた
わけです。
 このように、伝説を残すには、口承物語を文字化する必要があったことは、
ご理解いただけると思います。そして、イングランドにもおそらくそうした
伝統があったはずなのですが、トールキンも嘆くように、現在イングランド
は、伝説の宝庫とは言えません。ケルトの伝統やアーサー王の伝説はあるで
しょうが、イングランド人の語る言葉、英語に根ざした伝統の多くは、現在
では、私たちの目に触れることは、極めてまれです。
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