フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
2005年度第2回講演会:中世英文学・中世北欧文学に基づくTolkienのファンタジー.-3
2005年6月30日(木)
緑園キャンパスチャペルにて
講師:伊藤盡先生(本学非常勤講師)
*この記事は1〜3まであります。
ヴェルンドルがたった1人で狼谷に残っていることを知ったスウェーア
の王ニーズズルは、夜陰に乗じて兵士たちを遣わします。彼らはヴェル
ンドルの館の中に入りますが、ヴェルンドルは狩りで不在、その代わり
ヴェルンドルが持っていた700個の腕輪の1つを持って帰ります。
狩りから戻ったヴェルンドルは腕輪が1つ足りなくなっているのを見て、
妻が帰ってきたのではないかと考えながら眠ってしまいます。そして、
気が付いたときには手足を縛り上げられ、ニーズズル王のもとに連行さ
れていました。
ニーズズル王の妃は、ヴェルンドルの足の腱を切らせ歩けないようにさ
せます。ヴェルンドルは島に幽閉されニーズズル王のために宝石を作る
日々を送ります。ある時ニーズズル王の王子が宝石を欲しがっているこ
とに気付いたヴェルンドルは、彼らに、供を連れずに来るようにと誘い
かけます。そして、2人の王子たちが来た時、ヴェルンドルは彼らの首を
切ったのです。先ほどの石碑の場面ですね。王子たちの首を切ったヴェル
ンドルは、彼らの頭蓋骨から杯を、彼らの目からは宝石を作り、それぞれ
を王と王妃に贈ります。さらに王子たちの歯からはブローチを作り、王女
に贈ります。
 王女はヴェルンドルが作った腕輪を壊してしまい、内緒で直してもらお
うと、彼のところへやってきます。もしかしたら、ヴェルンドルの館から
腕輪を持ち去った兵士が王に献上したものを、王女は何かの拍子に落とし
て壊してしまったのかもしれません。ヴェルンドルは王女を酔わせ、眠ら
せて妊娠させます。そして彼は、鳥の羽から作った翼を付けて幽閉されて
いた島から、王のところに飛んでくると、王女との間に出来た子供を殺さ
ないと約束するなら2人の息子の運命を教えてやろうともちかけます。子
供を殺さないと誓う王に、彼は、王子たちを殺して杯と宝石を作ったこと
を告げ、王と王妃に復讐し、魔法の翼を駆って去っていくのです。
 スウェーデンのゴトランドの絵画石碑に描かれていた、翼をつけた人物
の意味も、さらには『フランクの小函』の絵の意味もすべて解けましたね。
この伝説が、当時の人達にはよく知られた物語であり、広く語り継がれて
いたことがわかります。が、今日の私たちが知っているイングランド伝説、
北欧伝説の中に、このウェーランドの物語はありません。
「裸山に坐って、エルフの公子は宝物を数え、1つがなくなっているのがわ
かった;彼は思った/フロズヴィの娘がとったものかと/若きアルヴィト
ルが戻ったのだろう、と」
 先程のあらすじにも申し上げました通り、これはヴェルンドルが自分の
腕輪が1つなくなっているのに気が付いて、もしかしたら自分の妻が戻って
きたのかもしれないと、心ひそかに喜び、かつ、またまた戻ってきてはく
れないものかと淡い期待を抱いている場面です。
 問題はヴェルンドルを表すのに、「アルファ・ロージ」つまり北欧の言葉
ではありますが、意味をとれば「エルフの公子」という言葉が使われている
ということです。これは、北欧の人にとって、宝石を作ったり、あるいは不
思議な翼を作ったりすることが出来るような人物は「エルフ」にちがいない
とかんがえられていたという証拠になります。これはイングランドにはない
証拠です。
 そこで、トールキンがエルフというものを自分の中にもう一度形作ろうと
した時に、彼らは単に美しく恐ろしいだけはなく、物作りの技がほとんど魔
法の域にまで達している人々である、と定義したわけです。エルフというの
は物を作るのに優れた種族である、そしてそれは中世の北欧の文献の中に根
拠が見出されると。そんなわけで『指輪物語』の中では、エルフの職人たち
が、物語の中心的存在である「力の指輪」を作ったと語られているのです。
『指輪物語』は何千年にもわたる長い長い歴史の中に組み込まれています。
そして、『指輪物語』のストーリーが行われるよりも前の時代、第2紀の
1200年に、サウロンがエルフ達を誘惑しようと試み、彼らの金銀細工師達が
自分と交渉をもつようにさせ、更に1500年にはエレギオンに住むエルフの金
銀細工師達がサウロンの凶刃によって「力の指輪」を作り始めるのです。
 エルロンドの会議の席、あるいは『過去の影』の章で「『力の指輪』はサ
ウロンが作った物ではない。エルフの職人達が作った物だ」と書かれている
のはそのためです。これは映画では、まるでサウロンが指輪を全部作ったよ
うに描かれていますが、それはトールキンの本意ではありません。彼は「エ
ルフ達がなぜ指輪を作ったのか」ということに、ある種のアレゴリーを含め
ているのです。「サウロンによる誘惑によって作った」とされていますから、
そこには美しいものを作りたいという純粋な動機以外の、ある種の「力」が
働いていたことがうかがわれます。そこには我々の日常生活の中で起る不幸、
哀しみ、あるいは人の弱さといったものが含まれていると、私達は理解する
ことが出来ます。
 事実、トールキンにとってこの「物を作りたい」という願いと、それから
「それがはたして本当に良い結果になるのか」ということは大きな課題でし
た。それは、勿論この「『指輪物語』を書く」ということにもあてはまりま
す。トールキンは敬虔なカトリック信者でしたから、書きたと願い、書いて
きた物語が、はたしてカトリック信者として神の恩寵に応えるものだろうか
ということを常に悩み続けていたのです。
 さて、トールキンが『指輪物語』を書くまで「エルフは非常に優れた職人
である」という概念は永らく忘れられていたのです。どのような伝承も時代
とともに忘れ去られてゆくということですね。その典型が、「緑龍館」で、
サムワイズがホビットの皆と話題にした木の男達の話です。木の男は物語の
ずっと後になって登場するエント達のことです。

・エントの神話

ところがこの「エント」とは何かということになりますと、非常に曖昧な記
述・記録しか残っていないのです。そもそも、現代英語に「エント」などと
いう単語はありません。しかし、中世の英語の中には存在しています。中世
の英語で書かれた格言詩の記述に次のような一節があります。

Cyning scael rice healdan 王は国を守らねばならぬ
Ceastra beo feorran gesyne, 町は遠くから見えるもの
Or anc enta geweorc… すなわち賢きエントの業物

 これは詩ですから、多少曖昧な表現であることは否めません。但し格言詩
ですから、何か事物の本質を描いているということは間違いありません。
「王は国を守らねばならぬ」これは本当にそのとおりです。 問題はその次
です。「町は遠くから見えるもの」町というものは荒涼とした大地を、つま
り普通は人が住まない地域を歩いてきた旅人にとって、「ああ、町に着いた。
ここは安全だ」と感じることの出来る非常に心慰められる象徴です。けれど
も、この「町」というものが“Or anc enta geweorc”という風に古英語で
綴られる時、私達は「一体それは何だ」と思うわけです。
 トールキンにとってこの「エント」というものは、「謎」でした。即ち、
古英語の中にすら「エント」というのは、「体の大きい者」という描かれ方
しかされておりません。けれども、その「体の大きい者」は“geweorc”現代
語の“work”つまり「仕事をして作ったもの」を表しますので、私は「業物」
という日本語訳をあてましたが、「エント」は「建造物」或いは「人間にとっ
て大きく見えるものを建てる」、そういう存在だったということが分かります。
 初めてブリテン島にやって来たアングロサクソン人は、ローマ帝国の城砦や、
白く広い石畳がどこまでも続くローマ街道を見て「こんなものを一体誰が作っ
たのか」と、もしかしたら怪しんだかもしれないと、トールキンは別のところ
で書いています。
 そして「賢き」という形容詞は古英語では“Or anc”と書かれていますが、
ここでトールキンは多少のいたずらをしています。彼は、「本当はそれ以外の
意味があったのではないか」という、伝説の霞の向こうにいる者を見据えた言
葉遊びをしているのです。トールキン自身、「しゃれのつもりで」などと別の
ところでは言っています。しかしそのしゃれのインスピレーションのもとにな
ったのは、この古英語の格言詩であることはまちがいありません。一体この格
言詩が何をさしていたのか、今の私達にはわかりません。これが「伝説」とい
うものです。
 けれども、その伝説は、王様や或いは有名な学者達が、子供の頃、どこかの
炉辺で冬の夜を物語って過ごした、その記憶にあったのかもしれません。トー
ルキンは、「そのような炉辺で一体どのようなことが語られていたのか」と想
いを馳せ、そして「それを現代に復活させたい」と願ったのです。

 映画『ロード・オブ・ザ・リング』は大変有名になりました。それを鑑賞す
る時、映画の向こう側に、今は失われてしまった伝説があるのだということを
是非感じ取っていただければと願います。
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