フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
2005年度第5回講演会:魔法の翼があったなら.-2
2005年12月1日(木)
緑園チャペルにて
講師:小谷真理先生
*この記事は1〜2まであります。
もうひとつ1946年にイギリスで出版された『まぼろしの白馬』という
お話を紹介します。私はこのお話が大好きです。海外を旅していて、知
らない人に「子供のころどんなファンタジーが好きでしたか? 私は
『ザ・リトル・ホワイト・ホース(まぼろしの白馬の原題)』が好きで
した」と言うと、産まれたときから知ってるみたいに仲良くしてくれる
場合があります。そこからも、この話がどんなに魅力的かがわかります。
『ハリー・ポッター』シリーズの作者のJ・K・ローロングが、この本の
ファンだと聞いて、私はJ・K・ローロングのファンになりました。
『まぼろしの白馬』は、イギリス南西部、アーサー王伝説などがあると
てもすてきなところが舞台です。作者のエリザベス・グージは女性で、
ロマンス小説などを書いていた人です。
 この作品では誰も飛びません。ヒロインの13歳の少女マリアは、一角
獣が空を飛んでいるのを見ることはできても、乗れないのです。最後に
彼女が老人になったとき「私は夢の中で一角獣に出会うでしょう。それ
に乗って私はすてきなところに行くのよ」と言います。死の世界につな
がっているイメージですね。一角獣は聖なる獣で、背中には清らかな乙
女しか乗れないと言う伝説があります。1946といえば、戦後間もなくで
すから、モラルが発達してたんですね。 人々は「13歳の乙女マリアだけ
が一角獣を見ることができるのね」と感動してるわけですから。
 脱線しますが、最近サイモン・グリーンという男性作家の本を読んだ
ら、ファンタジーのモラル感を皮肉った内容で面白かったです。王子様
とお姫様が出てくるんですが、なぜか王子様が一角獣に乗っていて、お
姫様が脇を歩いていました。実はお姫様はプレイガールだったと、あと
でわかるのですが、最近のファンタジーはすさんでいるなあと思いまし
た。
 話を戻します。
 飛ぶこととは、幻想世界へ行くことです。幻想世界の理解のしかたも
様々ですが、我々には手の届かないものの象徴である場合もあります。
死の世界の象徴としての飛翔は、児童文学やファンタジーの中だけでな
く、今でもよく使われていますね。
 さて。1991年に上映された『テルマ&ルイーズ(リドリー・スコット
監督)』という不思議な映画をご存じでしょうか。
 オバサンと主婦が休暇に出かけた先で男に絡まれ、持っていた銃で絡
んできた男を射殺してしまいます。自己防衛ですから裁判になれば助か
るでしょうに、2人は動転して逃げてしまう。逃げる中で雪だるま式に、
犯罪が膨らみ、最終的には崖から車ごとダイブしてしまうという、悲惨
な話です。が、テルマとルイーズの2人の関係は親密で、心を打たれま
す。
 彼女たちを犯人扱いする男たちや、追い詰めていく人々というのは、
女性に対して偏見が大きい人ばかりです。文明社会の中で、女性はとて
も追いつめられていて、自由になるには、車で崖からジャンプするしか
ないようです。
 しかしこのシーンには、追いつめられて絶望のあまり死んでいくとい
う暗い感じがないのです。
 どのように映像処理されているかと言いますと、崖から落下するはず
の車が、ふっと浮いた瞬間、飛び上がるところでカットされ、次にアニ
メーションになり、虹がかかるのです。なので、むしろ、「やっちゃえ
〜!いくわよ〜!」という感じです。
 そして、普通、観客は『テルマ&ルイーズ』を現実社会の話だとばか
り思って見ています。が、見終わった後に、アメリカの砂漠ををどんど
ん旅していくと、その先には女性が解放された自由な世界があるんじゃ
ないかという印象を与える作品になっています。
 リドリー・スコット監督には『ブラック・レイン』とか、松田優作の
やくざ映画とか、『ブレード・ランナー』とか、いろいろな作品があり
ますが、彼は、人間社会の中で追いつめられていく人々を、悪くは描き
ません。追いつめられているけど、力強いという、二律背反を持った存
在として、ポジティブな視点で、うまく描いています。
 さらに飛ぶイメージをさがしていくと、『黄金の羅針盤(フィリップ・
ブルマン著)』という作品にたどり着きます。この話の主人公は飛べま
せんが、魔女が箒に乗って飛んでいくシーンがとてもすてきです。
 角野栄子さんの『魔女の宅急便』にもありますが、魔法の翼の一つは、
箒です。女性が空を飛ぶ時には、箒がメジャーな道具です。箒は魔法の
翼そのものです。
ヒロインの小さな魔女は、いままで両親に守られて小さな家庭におさま
っていましたが、一人前になって働いて自立していくぞというときに、
箒に乗って大空を飛びます。宮崎駿さんは、『魔女の宅急便』をアニメ
化したとき、飛ぶシーンをとても細かく描いています。箒にまたがって、
さあ飛ぶぞ、というときに、髪の毛が逆立つのですが、これはまさに、
戦いに赴くイメージですね。このように見ていくと、魔法の翼とは、女
性が独自の知識を持って、自力で自由に生活していくことの象徴である
ということがわかります。
『ハリー・ポッター』シリーズには、箒に乗った人たちが出てきます。
ここでは、スニーカーとか、バイクみたいなイメージで、箒がとらえら
れていまして、主人公3人の中では、主人公のハリーが、一番箒に乗る
のがうまい。ハリーは危機を乗り切るときに、箒に乗って危機に対決し
ています。でも、3人組の中の1人、ハーマイオ二ーという女の子は飛
びません。
 それでは、『ハリー・ポッター』シリーズの中で、箒や、空を飛ぶと
いうことがどのように捉えられているか見ていきましょう。ハリーは普
通の子ですが、クィディッチ(魔法サッカー。箒に乗る)の選手です。
親友のロンも、家は少し貧乏だけれども、普通の子で趣味はチェスです。
この子はおっとりしてて飛びません。ハーマイオニーはいつも勉強中で、
人種問題に悩んでいます。
 ハーマイオニーとハリーを比べた時、ハリーがどんどん飛んでいくと
いうのが、とても効果的に使われています。ハリーポッターの世界は、
リアルなイギリスの現代社会からちょっと入ったところに魔法の世界が
広がっているという設定です。ロンドンのキングスロス駅からちょっと
入ると、謎のホームがあって、そこからホグワーツ急行という列車が出
ています。現実のキングスクロス駅はエジンバラへ向かう列車が出る駅
です。社会に隣接して、みんなから見えないところに、少し重なるよう
にして網の目のように魔法使いの世界があるのです。
 女の子が飛ぶ話をしようと思っていたのですが、『炎のゴブレット』
を読み直して、女の子が飛ばないのが気になりました。これはどういう
ことでしょう。
 もちろん、『ハリー・ポッター』シリーズは少年の成長物語で、ハリ
ーに焦点がいっているから、ハーマイオニーは飛ばないのだと簡単にい
ってしまうこともできます。
 ハーマイオニーは飛びませんが、彼女が飛んだら、どんなお話になる
でしょうか。
 映画では美少女ですが、原作のハーマイオニーは、かわいくないんで
す。髪はボサボサ、しかもちょっと出っ歯で齧歯目のような容貌をして
おり、鞄には常時20冊くらいの本を入れています。いつでも図書館にこ
もりきりのガリ勉の女の子です。彼女にはハリーの危機にはすぐに図書
館に行って、調べものをして彼を助けるという、補助的な役割を振られ
ていますが、この役は、男の子でもいいですよね。そして、彼女は男の
子と一緒のときに、自分が女の子であるところをあんまり見せません。
だから、ハリーたちはハーマイオニーが女の子だと、なかなか気付きま
せん。実はけっこう女の子なんですけどね。
 彼女には抱えている問題が一つあります。ロンやハリーは魔法使いの
両親から生まれていますが、彼女は人間の両親から生まれています。そ
して、家族の中で、彼女だけが両親に似ていない特別な子です。また、
彼女の両親は人間ですから、魔法魔術学校を恐れています。また、彼女
も両親に対して非常に気を使っているのが物語の端々からわかります。
 では、ハーマイオニーは、魔法使いの世界に来てハッピーなのでしょ
うか。全然です。それは、いまだに飛べていないことに象徴されていま
す。
 人間出身だということで、クラスの男の子たちから差別され、いじめ
られる。いじめられているから、勉強では負けないとがんばっているの
です。魔法の知恵を勉強して、乗り越えるための異質な意識を猛烈に吸
収しています。
 彼女は、自分が異質な存在であるとわかってるから、ハリーの異質さ
も理解できます。逆に両親が魔法使いで、少し貧乏なこと以外は何でも
平均的な、ハリーの親友のロンには、人種的な対立、男女の区別、階級
の違いなどといったことや、ハーマイオニー苦悩もピンときません。
 彼女は面白い子で、ホグワーツという学校の中に、先生と生徒以外に、
見えないところで働いているハウスワイブスと言う妖精がいることを知
ります。彼らは妖精同士の契約によって奴隷的労働に甘んじているわけ
ですが、先生も学生もそれが当然と思っていて、疑ったことがありませ
ん。が、ハーマイオニーはそれにき気付き、彼等のために行一人で労働
運動を始めます。しかし、それは誰にも理解されないばかりか、ハウス
ワイブズたちすら、彼女が助けにきてくれたとは思わず、自分達の暮ら
しをめちゃくちゃにする奴、おせっかいだと怒るのです。
 これは、現実の世界でも、様々な差別に対し戦おうとするときには必
ず起きてくる問題です。それを児童文学の中の1人の女の子がやるとい
うのはすごいことだなと、思います。
 ハリーは思う存分飛ぶイメージに取り付かれていますが、ハーマイオ
ニーは、まだまだ飛べません。どう飛ぶか、というのが描かれていない
んです。もしかすると、最後まで描かれないかもしれませんし、飛ぶか
わりに、何かが起るのかもしれません。が、私としては、『魔女の宅急
便』みたいに、髪を逆立てて、箒に乗って飛んでもらいたいなと思いま
す。
 今日は飛ぶということで、『魔法の翼があったなら」という演題で話
をしてきましたが『ハリーポッター』シリーズ作者のJ・K・ローリング
が、「最近の若者は本を読まないと嘆く声をよく聞くけれど、昔に比べ
て読書以外の誘惑の多い現代だって、面白い本を渡せば彼等も絶対読む
のよ!」と言っています。
 この『読書する女』というフラゴナールの絵(絵を示して)に描かれ
た女の子は、真剣に何を読んでいるのでしょうか。
 最近、中学生くらいの女の子が電車の中で『ハリーポッター』を夢中
になって読んでいるところをよく見かけますね。
 読んで知識を得ることと、飛ぶことはつながっています、本を読むと
きや、映画を見るときに、女の子にとって飛ぶとはどういうことか、飛
ぶ女とは何かと考えてみると、ファンタジーの世界がさらに深まるし、
新しい発見もあるかもしれません。
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