フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
2007読書シンポジウム報告-6
宮坂
宮坂です。本来ならば、学長がご挨拶を申し上げるところですけれども、障りがありまして、
ちょっと役者不足でありますが、私が開会の挨拶をさせていただきたいと思います。
実はこのシンポジウムの意味をしゃべろうと思って準備してきたのですが、
司会の方が今、私より立派に説明してくれましたので、私は、日頃考えている図書館あるいは読書ということについて
少しお話をし、このシンポジウムの前振りをしてみたいと思います。
30年程前、まだ自分史という言葉自体が目新しかった頃ですが、自分史執筆の啓蒙活動をしていたことがあります。
そのときからこんなことをいってまいりました。
一人の人間がこの世の中から消えるということは、一体どういうことなんだろうか。
死は、生物の宿命でありますけれども、一人の人間が消えていくということは、
とても大切な大きな図書館が、この世から消えていくということにほかならない。 と。
私には、翻っていえば、図書館というのは、人の命と秤にかけるくらいに大切なものだという思いがあります。
図書館とは、歴史を収集し、紡いで、さらにそれを後世に残す、後世の人たちがそれを学ぶという、
非常に大切な文化的な所作を展開している空間であると思っているからです。
30年間、どんどん移り変わっていく世の中にあって、図書館の位置というものもずいぶん変わってきたと思います。
人間の文化は、印刷技術が確立されたときに、大きく変わりました。
そして写真ができたときにも、非常に大きな変化が起こりました。
ひょっとすると、私たちが今置かれているコンピューター時代というのは、歴史の中で見ると、
やっぱり1つの大きな文化の変革期にあたるのかもしれません。
写真によって絵画が大きく変わり、あるいは印刷技術によって時代が変わったように、
今、コンピュータによって世の中が変化していくとしても、やはり図書館というものは
消えるわけがないと思っています。そして、図書館の意味というものは、おそらく人間が2人以上になった時から
考えられなければいけなかったことだったと思います。
今、読書する人は、ずいぶん少なくなりました。社会を動かしている世代の人たちも、
読書離れを体験した人たちが徐々に増えています。
ですから、今、しっかりと、図書館や活字文化というものを考えておかなければ手遅れになるという感じがいたします。
本学では、先ほど司会者の方からありましたとおり、2000年の始めから、教職員を巻き込んでの
読書運動というものを大学全体のプロジェクトとして推進してまいりました。
このシンポジウムは、その活動の果実であります。と同時に新しい時代に、
新たなうねりを起こしていくものになるだろうと考えております。
本日ご来場の方々は、たぶんこの講師陣を見て、フェリスはなかなかやるなと思って下さったことでしょう。
本学教授の三田村さんを含めて、ここにおいでのお三方が一堂に会し、そのお話しを聞けるというのは
なかなかないほど贅沢なものです。
これから発表、シンポジウムと続きますが、どうぞご堪能下さいまして、
そして、私たちにとって読書はなにか、読むということの魅力あるいは大切さ、
当然ですが図書館の意味について考え下さればと思います。 
簡単ではございますが、開会の挨拶をさせていただきました。
どうもありがとうございました。
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