フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
2007読書シンポジウム報告-20
津野2
この60年代後半に始まり、80年代の初めまで続いた流れを、市民図書館運動といいます。
図書館は市民のものである、国や自治体が所有する財産を読ませていただくための
施設なのではなく、市民が希望する本を税金で買って、それを自由に利用できる仕組みこそが
図書館なんだという考えです。
この運動のおかげで、それまでの保存中心の図書館が利用中心の図書館に切り替わっていった。
それはとてもいいことだったのですが、その後、時間が経つにつれて、
市民図書館の理想と現実との間にずれが出てきました。
運動が始まった時代は、高度経済成長がはじまったばかりで、まだ皆が貧しかった。
だから読みたい本があっても、自分で買うことがなかなか難しいかった。
今みたいに他にいろいろ楽しみがあって、そちらにお金を使うからということではないんですね。
私は松田さんよりひとつ上の世代ですから、欲しい本を買うために食事を抜いたり、
ときには売血までやりました。
壁に空いた穴に手を突っ込むと血を採られ、帰りにいくらかのお金と牛乳を1本もらう。
映画を1本見て、お酒をちょっと飲めるかどうかってくらいの額でした。
  そうやって手に入れたお金で本を買った。
60年代は半ば頃まではそういう時代が続きましたから、
読みたい本を自由に読める環境を作るというのは切実な要求でした。
読みたい本と言っても、ベストセラーとはちょっと違います。
学生にかぎらず、一般の人たちの中にも、自分の知的欲求の広がりに応えてくれる本を
何とかして読みたいという、強い欲求があったんです。
したがって、市民図書館運動をはじめた人たちも、そういう状況を変えたいということしか
考えていなかった。
そのために、たとえば、たくさんリクエストが来た本は、何冊買ってもいいということにした。
自然科学にせよ、社会学にせよ、歴史書にせよ、どうしても読みたいのに自分では買えないから、
皆の財産として図書館に購入してもらい、貸し出しを受けるわけですね。
ところが、だんだん状況が変わり、現在では、自分のお金は本を買うよりも
別の楽しみに使いたいから、図書館にリクエストするという考えになっている。
そういう本の多くはベストセラーやタレント本などですから、ものすごい数のリクエストが来るんですね。
こうなると、リクエスト副本購入の原則も、社会の変化に応じて変えていかざるを得ない。
市民図書館運動はつよい理想理念に支えられた運動でしたから、
図書館人の間に、そのときできた原則をいじることにためらいがあるのは、よく理解できますよ。
でも、たとえば、どんなにリクエストが多くても2冊以上は買わないとか、
3冊以上は買わないということにしなかったから、
図書館は早晩パンクしてしまうんじゃないでしょうか。
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