フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
2007読書シンポジウム報告-25
三田村
先ほどの休憩時間にご挨拶に伺いましたのは、本学の読書運動を支えてくれている
読書運動プロジェクトの学生メンバーなのですが、今年度のリーダーは
この地域の書店でアルバイトしていて、図書館でもPOPを作ってみようと、提案してくれました。
おそらく書店と図書館は敵対関係というか、図書館のことを書店が考えることはないというような
関係だったと思うのですが、現在のこの読書離れの状況の中で、
どうやって読書の習慣をつけていくかということは、
やはり書店にも図書館にも非常に大事なテーマだと思います。
  図書館に入ってすぐのところのスペースでは、私どもの大学で開催される学会や国際会議のテーマと連動して、
関連書籍の展示をしたりという取り組みをしています。
これがなかなか評判が良く、そこに展示した本はどんどん借りられていくという現象があります。
私共が読書運動をはじめたのは、津野先生のお話しでいう「利用」と「保存」の、どちらかというと、
「利用」の方ですね、そちらに今ごろ目覚めたという感じですが、こういうことなのです。
公立図書館と違って、大学図書館というところは、学術書や研究所はたくさん購入し、
保存もしますが、それだけで事足れりとしている場合がとても多いのです。
この図書館で読書運動をはじめて、学生に読みたい本のアンケートを取り、
その結果を蔵書に反映させるまでは、この大学の図書館には、女子大でありながら、
吉本ばななの本も、柳美里の本も山田詠美の本もなかったのです。
そういう現代女性作家の本を入れたら、貸し出しもぐっと伸びました。
当り前のことですね。
女性としてのアイデンティティをどうやって確かめていくかということについて、
参考にしたい現代女性作家の本が全くない図書館というのは、
学生に長いこと不便をさせたと思います。
私は今のところ、本学図書館を「利用」本位に考えていますが、限りあるスペースの中で
どうやって本を入れていくかは、なかなか難しい問題だと思っています。
少し前までは、文学全集というものが、ある程度規範化された価値を持っていました。
文学全集に取られている作家なら、卒業論文に取り上げてもいいし、
大学の図書館に入っていても問題はないという、目安になってました。
が、この何十年間か、昔みたいな文学全集はほとんど出版されなくなり、
何が良いか悪いかの基準は非常に曖昧になりました。
そういう状態の中で、芥川賞や直木賞が権威があるかというと、
そうでもなくて、逆に批判の対象になっています。
ある意味では芥川賞や直木賞の権威が相対化されて、
書店員の方全員が読んだ上で選ばれた本屋大賞の方に権威が認められているという
逆転した権威構造の中で、本を選ぶのはとても難しいです。
選んだ本を残していくことについても、どういう内容で文化資産を構築していくかは、
これも大変難しいことです。
「知の公共圏」みたいなものがなくなってしまったのですね。
もしくはまだあるかもしれませんが、相当解体化されている。
すべての図書館が同じ品揃えでは意味がありませんし、
個性的でありつつ、なおかつ広く開かれたまなざしを持って蔵書構成をするするということは、
基本でありながら最も難しいことですね。
後世に残る本、残したい本を、どういうふうに考えればいいか、とても迷っています。
たとえば松田さんは新しい日本文学とか、アンソロジーとか、
古典を甦らせる試みをされておいでですが、従来の定番ともいうべき古典から、
もう一回組みなおされる古典について、どういう風にお考えでしょうか。
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