フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
2007読書シンポジウム報告-26
松田7
そうですねえ。20年位前になりますが、『ちくま文学の森』というものを作りました。
そのときは、すでに文学全集の時代は終わったと言われていましたし、
古典や名作離れということが言われていた時代です。
が古典の中にはおもしろいものいっぱいあるし、消えてしまうのはもったいないと思い、
新しい枠組のなかでどう作れるかということを模索していったのです。
かつての文学全集というのは、その体系性、網羅性によって、どうしても全50巻、全100巻という、
重量級のものにならざるを得ませんでした。
図書館が充実していなかったということもあるかもしれませんが、
それが飛ぶように売れ、家庭ごとに、揃えてくれていた時代もあったんですね。
が、『ちくま文学の森』では、もっとハンディで親しみ深いものを
今の読者に提供するにはどうしたらいいかということを考えまして。
昔は字を小さくして、いっぱいに詰め込むのがいいと思われていましたが、
自分が老眼になってくると、それは読みにくいな、と思います。
なるべく読みやすく、また、完璧に網羅するよりも、読書の糸口になるようなモノを入れてみる。
こうして編集した『ちくま文学の森』が成功しましたので、その後、1991年から1993年にかけて
刊行した『ちくま日本文学全集』全60巻を、今度は文庫版で全30巻の『ちくま日本文学』として
再刊行しています。
たとえば、1巻の宮沢賢治には、『銀河鉄道の夜』をあえて入れずに、ちょっと風変わりな作品を入れました。
『毒もみの好きな署長さん』という、これが賢治の作品かと驚くような一作です。
あるところに、川に薬を流して魚を捕るという違法行為を好んで行う警察署長がいまして、
彼はそれが発覚して死刑になるのですが、全然自分の行いを悔いずに、
「あの世に行っても毒もみをしてやるぞ」と言って死んでいく。
この手の苦味がある作品は、賢治童話集とかからは、たいがい省かれてしまいますが、
こういう悪人にまで目配りして書ける賢治の深さというものを僕は出したいと思いました。
読みやすいもの、解りやすいものも、もちろんいいのですが、賢治の作品に限らず、
古典には、現代的な問題提起のできるものがたくさんあると思います。
書店員さんもそうですが、我々出版人はじめ、読者自身も、そういった作品を
自分なりに見つけていくということが、古典や名作を甦らせる力になっていくのではないかと思います。

三田村
ありがとうございます。
古典的な作品というと、最近、光文社文庫から外国の古典の新訳がたくさん刊行されました。
中でも『カラマーゾフの兄弟』がとても売れてますね。
今日の松田さんのご講演に出てきた『カッパブックス』の光文社ですが。
光文社という出版社は、初期のころは、『カッパブックス』的な仕掛けで、売上げを伸ばした。
そして今では古典の再発掘にも前向きに仕掛けているという感じでしょうか。

松田
どうでしょうね。
光文社の仕事が、結果的に突出して目立ったってわけですが、古典新訳は、
岩波文庫が長年やり直しを続けていますし、池内紀の訳したカフカの作品は
長く売れ続けていますし、新潮文庫でも、鴻巣友季子の訳した『嵐が丘』の新訳もありますし、
今度、池澤夏樹さんの編集で始まった河出の『世界文学全集』というものもあります。
色々な試みがされてきていると思います。
かつてほど一つの訳を大事に崇め奉るんじゃなくて、いろんな解釈があっていいいう風になってきていますね。
今では外国の生活習慣などが、昔よりずっとわかるようになってきていますから、
昔の翻訳文学には相当な勘違いがある場合もありますし。
今の若い人たちは『カラマーゾフの兄弟』を『カラ兄(キョウ)』というらしいですが、
ドストエフスキーの作品の中でも、特に重くて難解な小説が売れるということに驚くと同時に、
まだまだ色々な可能性が残されているのだなと思います。
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