フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
25-2・特集 座談会「ファンタジーとの出会いと魅力」-6 
2005年4月1日発行読書運動通信25号掲載記事4件中2件目
*この記事は7まであります
特集:座談会「ファンタジーとの出会いと魅力」
おしらせ:1.2005年度のテーマ/2.ファンタジー関連おすすめの本
鈴木:
ファンタジーって括ることが、ちょっと。
作者がどんな意図を込めて、『ナルニア国〜』とか『モモ』とかを
書いているのか、大人になってからまた読めば大きな裏の意図があるって
わかるんですけど、まず子供が読んで素直に楽しめるのがファンタジーで
あるべきかなと思います。『ハリー・ポッター』はあまりにイギリスの
現実に近すぎて、日本の小さな子供が読んだとき想像できるかなと
思ってしまいます。『ナルニア国〜』だったら全く違う世界なので、
子供は自由なナルニアを作れるわけで、大人になってからいろんなことに
気付くと思うんですけど。その違いで区別してほしいかなとは思います。

伊藤:
そう考えると、『ハリー・ポッター』の人気は映画と結びついているのかも
しれませんね。町並みは自分では想像できないから映像化されているのを見るという。

鈴木:
強制的に視覚から送られてくれば、こういうものなんだ、っていうふうに
見られるわけで。私はこの歳になっているからイギリスの町並みとかが
想像つくわけですけど、子供が読んでいたら、たぶん想像するのは全く
違う家か日本の瓦屋根だと思います。
そういうのを排除したのがファンタジーだと言ってほしい。

佐藤:
映像化されたり舞台化されちゃったらイメージって必ず限定されるから、
それが先になると残念ですね。

三浦:
イギリスはファンタジー大国だと言われているけれども、
『ハリー・ポッター』が出たことで今まで売れていなかったような
ファンタジーの本が売れ出したというのを聞いて、
じゃあ『ハリー・ポッター』によってファンタジーという
枠が決められたのか、というふうに思ったんです。
イギリスをレポートした「ファンタジーとイギリス」という題名の
テレビ番組の中で、今まではファンタジーというジャンルはなく、
そういう本は売れていなかったと言っていました。
『ハリー・ポッター』の出現によって大人まで読みふけるように
なったそうです。しかし、一方では、イギリスでは、子供はファンタジーを
読まなくて、むしろ大人がファンタジーを買っって読むという伝統もあるそうで、
じゃあファンタジーってなんなんだろうと思いました。
ファンタジーという括りが『ハリー・ポッター』によって
勝手に決められたものなのか、最初からあったけれども『ハリー・ポッター』に
よってもう一回浮かび上がってきたのか、という風に思って。
あるいはファンタジーって括ってしまうと鈴木先輩のおっしゃったように
なってしまうという…なんと言えばいいんでしょうね?
一読したところ、現実を凌駕しているものの方が、想像しやすいというか、
子供は親から言われるよりも自分で考える方が好きだと思うんですよね。
だから自分で好きなものを読んで、そこから感じたことは絶対忘れない。
大人になって考えてみれば、私が小さいときに楽しんだそれは児童文学と
呼ばれていたわけですが、今の子どもにはファンタジーという言葉の方が
自然に入ってきていて、逆に児童文学ってなんだろうって思ってるんじゃないかなと。
たつみや章さんの作品にも、以前は児童文学って書かれていたのに
最近出版されたものにはファンタジーってなってるんですね(笑)
よく分からない…。また最近私がみなさんに紹介した『月神の統べる森で』
(たつみや章 著/講談社)は、実際にあったかもしれない
古い時代の物語ですが、ファンタジーとして出版されていいます。
それならどこまでがファンタジーでどこからが児童文学なのかっていうことですね。
昔はそういう線引きがなかったように思います。今は子どもが読む本でも
ファンタジーと銘打ったものがありますよね。じゃあ、どこまでが児童
なんだろうって思います。どれもこれもファンタジーで、
じゃあ今まで児童文学と呼ばれていたのはなんだったんだろうか?
と疑問が出てきます。

佐藤:
児童文学という括り自体が難しいですよね。そもそも「子どもの発見」というのが
近代以降のことだから、それまで児童文学とは何だったかというと、
大きく二つに分けて、子どもが自分たちで選び取っていった、
たとえば『ロビンソン・クルーソー』だったり、『ガリバー旅行記』だったり、
スウィフトだって子どものために書いたわけじゃないんだから、
それを子どもが面白いから選び取っていったというのと、
もう一つは今皆さんが言った、エンデのような、児童のためにっていう
書かれ方をしたものと区別しなきゃいけないだろうし、
それと児童文学を大人が読んだらダメなのか?というところもあるわけでしょ、
そういうところの区分けは大変難しいものだと思う。
ましてやファンタジーに、伊藤先生がおっしゃった、超現実的や非現実的な要素で、
『杜氏春』じゃダメなのかという部分もあるしね。
鈴木:超現実世界の話でも、現実に根ざしているものでなければ、
読み手に想像をさせることが出来ないんじゃないかと思います。
だからぶっ飛んだ話ならいいというわけではなくて、
現実を押さえながら現実以外であるというのがいいなと思うんですけど。

佐藤:
なんだかファンタジー論になっちゃいましたね。
「オススメの一冊」とかなのかしらって思っていたんですが。
私はそういうふうに三田村先生から聞いていたんで、『ナルニア国〜』の
好きな人物ベスト3は誰かっていうと、ビーバーさん夫妻と、とかね、
それを言おうと思っていたんだけど、ファンタジー論になっちゃって。
いいですか好きなこと言って(笑)

司会:
どうぞ。

佐藤:
やっぱり一押しは泥足にがえもんです。あんなに勇気のある人はいないよね。
やっぱりルイスの『ナルニア国〜』の中で一番というのは、好みが分かれると
思うんだけど、私はこの泥足にがえもん(パドルグラム)さんがオススメですね。
気難しいけどなんでもやってくれるという、お嫁に行くならこういう人!
(一同笑)私のいちおしです。
それから「ライラの冒険シリーズ」(フィリップ・プルマン著,新潮社)の、
『黄金の羅針盤』、やっぱりこれもお嫁に行くなら誰を選ぶかって言うと、
イオレク・バーニソンという熊ですよ。これしかいない、もうコレって。
これだけ言って帰ります。お嫁に行くってカットしてほしいんだけど。
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