フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
2006年度第2回読書会『銀河鉄道の夜』を読む.1
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2006年5月16日(火)12:20〜13:00
2006年5月23日(火)12:20〜13:00
場所:附属図書館緑園本館4階読書運動プロジェクトミーティングルーム
ナビゲーター:安藤公美先生
*この記事は録音を元に書き起こしたものです。
 筆耕:日本文学科1年高橋さくら
<第一週>

●本の感想から。

・覚えていないだけかもしれないが、ちゃんと真面目に読んだのは
 今回が初めてでした。賢治が表現に自分の頭を追いつかせるのが難しかった。

 情景をあまり上手に想像できませんでした。
 でも、もし自分の頭で想像できたらすごい情景なんだろうなと思いました。
 また、死というものを身近に感じました。
 最後、カンパネルラがたぶん死んでしまったんだろうな、
 ということを思い起こさせたり、鳥がたくさん出てくる場面で
 鳥が捕まらずに地面に落ちていったり、兄弟が神様のところに行くために
 汽車に乗っていくという場面で、死というものがあるのかなと感じました。
 いかがでしょう?

・小さな頃に読んで理解できず、今回読み返してみたが、
 やっぱり理解ができませんでした。
 難しいというか、想像ができない世界の話だなと思いました。
 鳥が食べられてしまうのが可哀想だなと思いながら読みました。

・宮沢賢治の話自体がどれも独特で、いつも理解できずに終わってしまう。
 ラストでカンパネルラが死んでしまったというようなことが書いてあるが、
 この作品自体が未完のためか、理解できず、何が良かったのかが
 分かりませんでした。

・最後のところでカンパネルラが死んでしまったのに、
 悲しむ暇もなくお父さんが帰って来てしまい、
 気持ちの変化についていけませんでした。

●読んでいない段階での銀河鉄道のイメージは?

・「銀河鉄道の夜」という題名から「銀河鉄道999」のようなものを
 想像していました。そのため、死というものを感じさせるということに
 驚きました。小学生の頃に教科書で読んだクラムボンの話も、
 小学生ながらに変な話だなと思っていたのですが…。

・(先生)イメージし難いという意見がいくつか出てきましたが、
 情景がイメージし難いのか、その情景が示す世界がイメージし難いのか、
 どちらでしょう?私は情景はとてもイメージし易いのですが、だからこそ、
 そればかり見えていて、自分の中に何を伝えようとしているのか、
 何を示しているのかが逆に分かり難い作品になっているから、
 訳が分からなくなっているのではないでしょうか。
 情景もイメージし難かったですか?

・文章に頭がついていかないというか…。
 文章での表現はしっかりしているのですが、それにかえって
 考えさせられてしまいました。

・擬音語や擬態語は生き生きとした勢いが伝わってくる
 独特の言葉使いをしているのだが、声に出して読んでみると
 リズムを取り難く、どういう感じに想像して書いているのかが
 意外に掴み難かった。淡々としていて感情表現が少ないように感じて、
 そんなところに仏教的な感じを受けました。

・私は宮沢賢治初心者なのですが、宮沢賢治は仏教徒だったのですか?
 (肯定の声)では、なぜハレルヤやキリスト教的な部分が
 入っているのでしょう?仏教徒だということは前回の
 「注文の多い料理店」のときに聞いたので、なぜハレルヤや
 十字架が出てくるのだろうと、すごく不思議に思いました。

・(先生)この世界自体はとてもキリスト教的ですよね。
 いま話しを伺っていて、すごくおもしろかったです。
 分からないという感想が出るとは、全く想像していませんでした。
 私が読みに慣れてしまっているということもあるのかもしれませんし、
 賢治の基本的な性質は詩人ですよね。詩って他の文章と全く対極でしょ?
 何が対極かというと、意味は他人任せというか、
 読者の方に委ねてしまうという戦略ですよね。
 私はこの話がすごく好きなのですが、
 「分からないところは、とりあえず分からないままでいいや」
 という感じです。イメージのシャワーを浴びるのが楽しくて楽しくて仕方ない。
 もちろん、カンパネルラが死んでしまったからこそ銀河鉄道に乗って
 星巡りの旅をすることができているのだと思うけれど、
 では逆にいえば、なぜジョバンニは一緒に行くことができたのだろうか、
 とか考えていくと意味を取りたくなることも沢山出てくるのだけれど、
 先ずは、その星巡りについてです。
 今日は星図を持って来てみたのですが、やっぱりちゃんと天の川、
 夏の銀河に沿って星座を通って行っているので、天文的な要素や
 興味も併せながら、汽車を夜空に走らせるという、想像力を発揮して
 書いているのかなと思います。たしかに、分からないけれど、
 逆にいえば読者というのは分かりたがるのだなということが、よく分かる。
 読者は整合性がとれたものを期待します。
 たしかに未完のような感じもするけれども、でもこれでもいいかもしれない。
 空白が戦略だったのであれば、その戦略がこれだけ皆に分からなさを
 与えているということは、成功しているのかもしれないな、
 と皆の話しを聞いていて思いました。

・やっぱり私も初めて読んで、分からなかったのですが、
 2回目を読んだら、全然印象が変わって、キャラクターが
 すごいことを言っているなとも思ったし、さっき出た意見のように、
 死を身近に感じたりしました。また、最後まで読んでみて、
 もしかしてジョバンニのお父さんも青年たちと同じ船に乗っていたのかな、
 と思いました。

・(先生)それはどの辺りから?

・「あなたのお父さんはもう帰っていますか?」という問いに、
 「いいえ。」と答えると、「どうしたのかな、一昨日、
 大変元気な便りがあったんだが。」と返ってくるという、
 心配したくなるようなことが書かれていたので、そうなのかなと思いました。

・物語の中に家庭教師と2人の子供が出てきていて、その3人が
 タイタニックのように船で沈んでしまうという話しが出てくるのですが、
 その人たちが乗客として突然現れるという場面が印象的でした。

・私も理解できなかったのですが、理解できないと思いたくありませんでした。
 ですが、いろいろな人の話しを聞いていて、安心しました。
 先程、仏教の話しがありましたが、仏教には輪廻転生という教えがあって、
 魂の流れは一方方向にしかない。この作中の鉄道も一方通行なんですよね。
 ということは、この仏教の教えを表しているのかなと思いました。
 また、カンパネルラが消えてしまうとき、一緒にジョバンニも
 地上に帰ってくるのですが、その後汽車はどこに行くのかなと
 疑問に思いました。このことと、情景が理解できないというのを
 併せて考えると、『千と千尋の神隠し』の最後のシーンに
 似ているなと感じました。

・鳥を捕って食べたり、化石を掘ったりしている行為が出てきますが、
 あの行為に何の意味があるのだろう。
 やっぱり私は最終的な生と死の問題をクローズアップしているのかなと
 思いますが、しかしその行為の意味は分からないのです。

・鳥を捕るところのくだりが、私はとてもおもしろいと思います。
 食べるのですが、殺すというか潰す、押し花にするということで、
 植物的だなと思いました。また、賢治の作品は擬音語、擬態語が楽しいです。
 言葉のつながりが賢治セレクションで、いいと思います。

・始めのほうしかきちんと読んでいないのですが、
 色や宝石を使った表現が多いように感じました。

・(先生)ちなみに、作品全体として、何色が浮かんできますか?

・いろいろな色があったので、虹色や、たくさんの色に変わる
 ということで透明なダイヤといったイメージです。

・青がだんだん透明になっていくというイメージです。

・夜空の色のイメージです。

・先生はいかがですか?

・(先生)私はやっぱり青ですね。
 青が基調でそれがだんだん透明になっていく。
 そして、そこに印象的な赤や金や白が入ってきているようなイメージです。
 このテクストがとても色彩感覚に優れたもの、
 万華鏡のようなものだと感じますね。私はこの小説を、
 見る小説なのかなと思います。しかし、視覚的な小説だと思うと、
 本当にそうなのかな、と自分の中で疑いが出てきた。
 今度は聞こえる音は何だろうと考えると、ハレルヤや、
 新世界交響曲や賛美歌が聞こえてくる。見て楽しいし、音もある。
 新世界ということは、死があって再生される、
 ということも彷彿とさせますよね。

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