フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
随想コンクール結果発表

課題図書
・『日本語が亡びるとき−英語の世紀の中で』 水村美苗 著
・『子どもの貧困−日本の不公平を考える』 阿部彩 著
・『伊藤ふきげん製作所』 伊藤比呂美 著

入賞
第1席 該当作品なし
第2席 コミュニケーション学科3年 山崎愛実さん
「『伊藤ふきげん製作所』を読んで考えたこと」
第3席 該当作品なし

 

『伊藤ふきげん製作所』を読んで考えたこと
コミュニケーション学科3年 山崎愛実

読み始めて2秒で思ったこと。
「あ、この人、嫌い」
この筆者、伊藤さん。私たちのことを、「あの人たち」と言った。
ひとくくりにされた、絶望、失望、怒り、悲哀。
私は大人が大っきらいです。親はもっと嫌い。しかしここでいう親は自分の親というわけではありません。私は自分のお父さん、お母さんは好きです。嫌いなのは、この世に存在する「親」という制度そのものです。
ただ、この本のタイトルは好きです。なぜならこどものふきげんは家庭内で製作されることを筆者は認め、親が「どうしてそんな子になっちゃたの」とか「そんな子に育てた覚えはない」とか責任を「外」に転嫁して逃げることをしていないからです。
そう、子は親の背中を見て育つとはいうがまさに絶対その通り。子は親を見て育つのだから、今のこどものあり方は親のあり方、いわば鏡、いわば分身。「そんな子」になっちゃったのはあなたが「そんな人」だからですよって、私は声を大にして言いたい。そりゃあ確かに家庭外のことが人格やなんやに影響されることもある、が、それまでの子の育て方やそれからの子の育て方でどこまで「外」のことが影響されるかは変わってくるとも思うのです。自分が努力しなかったことを、「こどもは勝手に育っていくから」とまたまた放棄されては、挙句「私の知らないうちに……」って、それあなたが知らないふりしてただけから。目を向けようとしなかったからだから。といつも苛々していた私は今回の本のタイトルには大賛成。自分が「親」を嫌う理由をほんの少し見つけました。
また、私は父親を嫌だとか汚いとか思ったことは一度もありません。確かに不快に思う行動があることもあるけど、それは別に父親だから嫌ってわけじゃなくて、その行動が嫌、ってだけだから父親以外がやっても自分にとって不快なことは不快だし。たとえば同じコップに口をつけるのが嫌とか、私はそれは父親以外、母親でも妹でも友達でも嫌ですし。「父親だから」嫌う理由なんてないと本気で私は思ってきました、今まで。
だから私は思うんです、世界の子どもたち(特に女の子?)がある一定年齢くらいで父親とギクシャクするようになってしまうのは、父親のほうから、そうなるアクションをしているからではないか?と。例えば世間一般の思春期とかいうものに託けて成長してきたこどもに父親はどう接するべきか迷い、コ
ミュニケーションを取りづらい雰囲気を醸し出してしまいそれを敏感なこどもが感知して気まずくなる、とか。どうも親は「〜期」とかいう先入観や固定観念にとらわれている気がしてなりません。
大体、思春期なんて言葉が私は許せないんですよ、気色悪いし鳥肌が立つ。人間一生青春というように、人間一生思春期だと思いますよ、そんな言葉を存在させたいなら。だって、私はこの本を読みながら「筆者は思春期か」って思いましたから。こどものいちいちにムカついて、苛々してキレて、「なんでこどもってこうなの」って愚痴る。それってあなたたちがいう「思春期」の子たちの反応と同じなんですけど。親はこどもに、こどもは親に、一生苛々させれられて生きる。それを覚悟して親になったんじゃないんですか?それをいちいち、愚痴愚痴と……って、思春期と同レベルでしょう。キレる若者とはよくいったもので、キレる中年、なんて言葉があってもいいのに。そこらじゅうで中年もキレてるのに。こどもって本当に弱者だ。力がない。そう、こどもが「ムカつく」のは、この本でも述べられているように「父親」ではなくその「権威」に対してだったりします。
「家庭という機構を運営し管理するその責任者。家の中で、えらそうにして、あれこれ指図するその人」に私たちはムカつくのです。こればっかりは筆者の意見に同意しました。なんで、「おとうさん」?それは稼ぎ手で、大黒柱で、男で、中心にいるからなんでしょう。何より生活費を稼いでくるというのは、本当に有難い(こどもだってわかっています、それがどんなに有難いことか)反面(わかっているから)一方的に養われるしかなく、拒みたくても法律や身体上自分にはどうしたってできないことだから悔しく、ムカつくのです。
一般的に思春期と呼ばれるような時期は義務教育中だったりアルバイト禁止だったりでこどもはお金を稼げません。それで親と喧嘩して「誰のおかげで食べていられると思ってるんだ!」と頭ごなしに怒鳴られたら大人を卑怯だと思いムカつくほかありません。親はこどもをつくった時点でそれを恩着せることではないとわかっていなければいけないのに、こどものようにキレてこどもが絶対に言い返せないところをつくという権威の暴力。そんなことされて、ムカつかないほうが無理な話です。しかも、だからといって母親に相談すると「お父さんに聞いてからね」って、「権力を人工的に作り上げ」てますます私たちをムカつかせる。だからお母さんに聞いてるのに!わかってない……って。
そういえば私は、「死にたい」と思ったことは一度もありません。本当に。でも、「死んだほうがいいのかな」とは思ったことがある。たぶん小学校1年生くらいのとき。親にさんざんに怒られて、そんなとき台所に無防備におかれた包丁を見て「私が死んだら、お母さんはあんなに怒らなくてすむのかな、楽になるかな」って。小学校1年ですよ、私は本気で考えていました。真剣だったから、13年たった今でも覚えてる。無論これを言ったら親は傷つくと思って13年間口に出したことはありませんけど。だから今でもそんな自分が存在したことが苦しいのですけど。
子どもは、親が思う以上に親を大好きです。死を考えるほど。心から愛しているし、感謝しているし、
中には尊敬している人もいるでしょう。だから子どもは憎まれ口を叩きながらも結局はちゃんと学校に行き、勉強をし、少しでもよく思われたいと思えるのです。
(そうそうこどもの相手ばかりをしているわけにはいかないことを)ちゃんとわかってるけど、今はカノコがいちばん最初に相手をしてもらいたいの。カノコがおかあさんのいちばん中心でいたいの、カノコはおかあさんの大切な、大切なものだって思いたいの。
そんな筆者の娘の言葉をみて、ああ、そっくりそのまま名前を私のに変えて、母親に伝えたい。そう思いました。私だって、20歳を超えた今でも親には誰よりも喜んでほしいからいろいろするし、例えば、いい成績をとりたいのって本当に親のためだし(安心してほしいし私ががんばってるって信じてほしいから)、こういうコンクールにどんなに忙しくても欠かさず自主参加するのも少しでも親に自分という存在をアピールしたいからだし……。フランス語をがんばったのも今国内留学しているのも夢をいつまでも諦めないのも全部全部根本には親がいます。そうやって、がんばれるフィールドを与えてくれているのは親だと、知っているからです。
筆者は、親は「子どものことを不満がっていろいろ言うくせに、他人に何か言われると何言ってるんですか」と反論したくるからふしぎです、と言います。何がふしぎなのかわかりません。子供だってまったく同じだからです。親を「ウザい」と罵りながら他人に親のことを言われると「お前になにがわかるんだ」って急に腹が立つ。「俺のことは何言われても構わねぇ、けどな、親のこと悪くいうやつは許さねえ!!!」……なんてマンガなんかで見かけるセリフ、フィクションじゃあありません。子は何より自分より親のこと、大好きだから。
でもだからこそ、私たちが大きくなるにつれて親がだんだん私たちと話さなくなっていくのがとても淋しい。こどもだけじゃないんです、話さなくなるのは。筆者も言います。ただ泣きわめいていた幼少時代とは違い言葉を覚えてきたこどもと話すのには体力を要するようになり、「気がついたら、言いたいことを言わないですませようとして」いたと。「いちいち、立つ波風がめんどくさい」と。
ショックでした。私の親(特に母親)も口喧嘩が長引いてくると急に無視を始めだんまりを決め込む一人ですから。それは子ども心に一番深い傷を与えると、知っているのでしょうか。だからそうするのでしょうか。「めんどくさい」。……子どもの相手をできないのなら、親になんかならないでよ!!!!叫ばずにはいられません。だから私は親になんて絶対になりません。親にならせたいなら、孫の顔が見たいと私を急かすなら、そう思わせるだけの「親」でいてよ。そう思うことは間違っていますか?
「子どもは『養われ』『愛される』ために存在している」。筆者は言いました。ああ、この言葉を、全国の恩着せがましい親たちに伝えたい!と思ってしまった私は浅ましいのか。でもだってそうでしょう。そうじゃないんですか?養い愛したいと思ったから私たちを生んだのではないのですか?違うのです
か?じゃあ、なんなんですか……。そちらの都合で産んで、そちらの都合で怒られこんな本を出されムカつかれるって、こどもってじゃあどう存在してればあなたの不都合にならないですむんですか?またそんな偏屈なこと言って、って、言わせているのはあなたたちです……。
あなたたちが、筆者の言う「信頼するに足る権威」を持ち合わせていたら、わたしたちはふきげんになんてなりません。私は、「親」っていうだけで、みんな同じ人間だから、平等だから親子で何を言い合ってもいいと思ってきましたが、その度「親をなんだと思っているの」って……そっくりそのまま返しますよ。「あなたは親をどういう存在だと捉えておいでで?」と。
私、
思春期の子どもを持つ親は、なぜかいつもムカついていて「ふきげん」です。けれども、そんな親に対して、実は子どもだって、思いっ切り混乱しているのです。
そんな裏表紙文の本を、私が書いてやろうかと今回の本を読んで思ってしまいました。

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