フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
03-2・私の勧めるこの1冊-3
2003年5月12日発行読書運動通信3号掲載記事2件中2件目
*この記事は1-3まであります。
私の宮部みゆき 『スナーク狩り』 ―凶器を捨てて―
 私が宮部みゆきという人の作品に触れた一番初めは、私がまだ小学生の時
のことだった。母が『魔術はささやく』のドラマを見たことで本を買い始め、
それをきっかけに読みやすいものを、と『パーフェクト・ブルー』を読んだ。
それが初めだったと思う。小学生が読むにしてはあまり可愛げのないものだった
かとも思うが、この作品をきっかけに、私は宮部氏の本を読むようになった。
 彼女の文章は、人を引き込んでくれる。作品の練り込みが素晴らしい
にも関わらず、判りやすい言葉で表現してくれる。難しい文章だから、
良い訳ではない。判るからこそ、それは人の心を掴み、放さないのである。
英語が読めない者に、英文を読ませて感想を聞いたとしても、
それは意味がない。まして娯楽ものの小説を読む時に、気の利いた表現は必要でも、
難しく取り繕った言葉は要らない。ただ素直な何気ない文章が、
何よりも人の心を打つこともある。宮部氏が書く文章とはそういう文章だ。
そしてそれでいて、この人が書く物語は決して軽くはない。
特に『火車』などはその顕著な例だろう。きちんとしたテーマ性が
親しみやすい文章で重厚に描かれるから、宮部みゆきは面白い。
 『スナーク狩り』という小説は、2挺の銃が絶妙な使われ方をした小説である。
凶器というものは、力をふるうためにあるのではなく、真実を知るために
必要な時もある。けれどそれをふるおうと思ってしまった時、
人は「怪物」になっている……という感じのテーマなのではないかと思う。
宮部みゆきという人が書く物語の多くは、主人公が複数いて、
彼らそれぞれの物語が集結して初めて全貌を見せるのがすばらしい。
始めは1人1人他人に見えた人々のつながりが、ひっくり返してしまった
パズルのピースのようにはまっていくのを目の当たりにすると、
感嘆に声も出ない。例えば、この小説の冒頭はこうして始まっている。
 その夜の始まりには、地図はまだ空白で、約束された流血沙汰は、
ひとつだけしかなかった。そこで死にゆく者の名も決まっており、
すべては予定の行動予定の運命にのっとって、変更の余地はないように見えた。
 しかし、事実は違ったわけである。そして、その違う結末を、経過も含め
どのように描いていくのかということが、この小説の面白いところなのである。
この「決まっていた死にゆく者」を取り巻く様々な人々が、この物語に
色をつけていくのだ。次々といれかわっていく主人公の視点は飽きさせることなく、
物語に独特のテンポを与えている。
 この時、最初に1人だけ死にゆく者として定まっていたはずだったのは、
2挺の銃の持ち主である関沼慶子だった。ゆえに最終的な主人公がどうであれ、
全ての発端は彼女以外在り得ない。彼女がいなければ、この物語は
始まりも終わりもないからだ。関沼慶子は美しい女性だった。そして、裕福だった。
けれど彼女の中に何らかの負のものがあったのは事実だった。
慶子は恋人だと思っていた男に金持ちだという理由で利用され、
必要なくなった時に捨てられた復讐をするつもりで、彼の結婚式に赴くのである。
 しかし何よりも慶子にその決意をさせたのは、男に振られた事
なんかではなかった。ましてや裏切られたと言うことでもない。
ただ「金にしか価値がないから、金が欲しい連中しか寄ってこないんだ」
と言う、耐え難い侮辱の言葉だったのである。
 彼女は自分を侮辱した男の結婚式で、死んで恥をかかせてやるつもりだった。
それでも死ねなかったのは、やはり死にたくなかったからなのだろう。
慶子が結婚式に乗り込む前、駐車場で火薬の匂いを嗅いだような気がするのも、
ホテルの化粧室で惨めな気持ちで震えていたのも、全て彼女の死に対する
恐怖心だったのかもしれない。のちに慶子が自宅に帰って留守番電話が
セットしてあるのを見た場面は、特に宮部氏が関沼慶子を描く中でも
注目させられるワンシーンである。
 薄暗がりのなかに、小さな赤いランプが灯っているのが見える。
出掛ける前にセットしていったきりの留守番電話だ。それに気付いたとき、
慶子は初めて泣きだした。
  ここを出てゆくときには、国分の面前で死んでやるつもりだったのだ。
それなのに、あたしは留守番電話をセットしていった―
 本心では、死にたくなんかなかったのだ。そのことが、今やっとわかった。
関沼慶子は孤独な女性だったのだろう。彼女は寂しかった。だからこそ、
1人きりの部屋で生きようとする意思を彼女が見せてくれたのは印象的だった。
人は誰だって生きていたい。生きていたいと思っていてほしい。
死のうとした彼女が、自分を大切に思えることが、彼女自身の価値なのである。
お金でもなく、容姿でもない。彼女が自分で決めなければいけない価値だった
のである。彼女が凶器を放り出して手に入れたものは、怪物のままでは
きっと気付けなかったかもしれない、求め続けた答えだったのではないだろうか。
(卒業生 田邉洋美)

 田邉洋美さんは第1号にすてきな宮部みゆき論を投稿してくれた
田邉愛美さんの双子のお姉さん。姉妹そろって、宮部みゆきファンです。
お母さんも含めた家族全員が宮部みゆきについていつも話し合っている
という雰囲気が伝わってきますね。
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