フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
08-4・私の宮部みゆき 
2003年8月31日発行『読書運動通信8号』掲載記事4件中4件目
美味しい話〜『初ものがたり』〜
 最近特に物忘れが激しくなった気がする。
講義や学会など「お仕事モード」のときはメモを取るなどして
必死にカバーしているが、肉体も精神も弛緩しきっている家庭内では、
もういけない。「この前言ったでしょ!」と妻や子供に呆れられることも
しばしばだ。
 お気に入りだったはずのミステリのストーリーも、読後1年も経つと
ほとんど忘れてしまっている。そのくせ本筋とあまり関係ないことを
結構覚えているから不思議だ。桐野夏生の『OUT』では、結末は完っ璧に
忘れたが、何故か鮮明に覚えているのは、冒頭の弁当工場のシーン。
カレー弁当を作るのに、「ご飯だし」・「ご飯ならし」・「カレーかけ」と
流れ作業でやっている様子が新鮮だった。夜明け前の薄汚い工場で必死に働く
パート主婦たち・・・。コンビニ弁当はこうして作られるのかと感心してみたりした。
 宮部みゆきの時代ものと言えば、有名な『本所深川ふしぎ草紙』を
思い浮かべる人が多いだろう。霊験お初シリーズ派もいるかな?
私のイチオシは『初ものがたり』だ。『本所・・・』にも登場する
岡っ引きの茂七(もしち)を主人公に、深川の町で起きる様々な事件の
顛末を小気味よく描写する6話の短編集である。
 基本的に時代ものは、戦国武将の生き様や、維新期の志士たちの躍動と
いった壮大なスケールのものが好きなのだが、宮部さんのちっちゃい
お話には何故か例外的に惹かれる。「名もなき市井の人々の暮らしや
人生が生き生きと活写され・・・」みたいな定着した評価のとおり、
見事にはまってしまうのだ。作中、結構人も死ぬので、
こう言っては不謹慎かもしれないが,さわやかな読後感がある。
江戸版「ちょっといい話」のような感じもする。
 そうした宮部独特の時代物にあって、なぜ特に『初ものがたり』に
入れ込むのかというと、美味しいからである。例によってストーリーは
もうあまり覚えていない(笑)のだが、毎回登場する謎の「稲荷寿司屋」が
妙に印象的で、その店で出す「蕪汁(かぶらじる)」や「白魚蒲鉾」
「小田巻き蒸し」などが何とも美味しそうなのだ。そうした「初もの」料理が、
事件の謎を解く鍵になるエピソードもあるが、謎解き自体は、今どき
『名探偵コナン』でもやらないようなシンプルなもの。むしろこの本は、
椎名誠も雁屋哲もかなわない、行間から漂う何とも言えない
「美味しそう感」こそ読みどころだと、勝手に思う次第である。
 テレビではグルメ番組が人気を集めている。料理法を競ったり、どっちが
美味しいかを有名人が判定したり、激安店の大人気の1品が紹介されたり・・・。
決して自分のお腹がふくれるわけでもないのに、ついつい観てしまう。
何でも書ける宮部さん、ファンタジーにいくくらいなら是非グルメ小説に
挑戦してほしいと思うのは、私だけだろうか。
 物忘れ男としては、しっかりした本筋を前提に、ちょっと忘れがたいような
美味しい「味付け」のきいた本を読んでいきたい。
(情報科学担当非常勤講師 大島武)

*大島先生は映像を駆使し、分かりやすく、面白く授業をなさる先生として
有名でした。この7月には日本でもっとも魅力的な授業をする先生として
表彰された先生です。その大島先生が宮部みゆき大好きとうかがって、
早速ご依頼しましたら、お忙しい中、楽しい、おいしい文章をお寄せ
くださいました。
 ありがとうございます。
(文学部教授 三田村雅子)
Copyright(c) 2000-2006, Ferris University Library. All Rights Reserved.