フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
38-2・特集 人生-1
2006年11月30日発行読書運動通信38号掲載記事6件中2件目
特集:人生
紹介:宮沢賢治の本〜第6回
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『老人と海』ヘミングウェイ/著 河出世界文学大系『ヘミングウェイ』収録
請求記号 908||Ka92||89 資料番号 101412710

私は「老人と海」を読んで、「生き方」について考えてみた。
 「老人と海」の主人公、キューバの老漁夫サンチャゴは、
85日間もの長い不漁にもめげず、小舟に乗り、たった1人で出漁したところ、
残り僅かな餌に、想像を絶する巨大なカジキマグロがかかった。
4日にわたる死闘の末、老人は勝ったが、帰途サメに襲われ、
舟にくくりつけた獲物はみるみる食いちぎられてゆく。
 この本を読み終えた時、私は老人がかわいそうだと思った。
せっかく仕留めた獲物も、結局はサメにほとんど食べられてしまうという
空しい結末でこの話は終わってしまったからだ。
「苦労して仕留めた」という一言では、言いつくせないほどの
死闘を繰り広げたのは、一体何のためだったのか。
1度高みを見たからには、また同じだけ低い場所へ戻らなければならない
ということなのか。現実の厳しさを思い知らされる。
 この話の中で、老人は究極の孤独にさらされている。
不漁、老い、けが、疲労。陸から誰も助けに来る見込みのない沖合で、
彼はたった1人で巨大な獲物と戦わなければならないのだ。
老人は、幾度も、彼を慕っていた少年のことを思い出す。
「あの子がいたらなあ」という老人のモノローグは、
彼の孤独感を一層際立たせている。
しかし、老人はどんな逆境の中にあっても漁師として生き抜く覚悟を持っている。
「おれはやつを殺さなくてはならない、そのためには、
俺は強くならなければいけないんだ。」
 これは老人の独白であるが、たとえ相手が巨大なカジキマグロでも、
何日間も海上を1人さまようことになっても、絶対に仕留めてみせるという、
決して諦めない強い気持ちがよく表れている。
 しかし何故老人は漁師をやめなかったのか。
キューバのような気候の土地であれば砂糖や葉巻を作って売ることも出来る。
漁師以外でも生きる術はいくらでもあるはずなのだ。
「何ヶ月も不漁が続いている。自分は運に見放されてしまったのだ」
と諦めて別の生き方を探すことも出来たのに、敢えてそうしなかったのは何故か。
老人にとって「漁」とは何なのか。
老いても続けることに一体何の価値があるのだろうか。
 老人にとって漁とはライスワークではなく、ライフワークなのだと思う。
つまり彼は食料として魚を食べるため、または金儲けのために
漁師をやっているのではない。
 老人は言う。
「魚をとるってことはおれを生かしてくれることだが、
同時におれを殺しもするんだ。」
老人は仕留めた魚のおかげで生きてきた。
しかし魚をとるためには、様々な危険と闘わなければならない。
遭難の危険性もある。場合によってはけがだけではすまないことも
あるかもしれないのだ。正に命がけだ。こんな生活をずっと続けている老人は、
私には「生きるために命をかけている」のではなく、
「命をかけるために生きている」ように見えた。
    (英文学科1年 宮川いづみ)
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