フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
02-2・現代女性ミステリー作家たちと宮部みゆき
2003年4月28日発行『読書運動通信2号』掲載記事6件中2件目
今年の一冊の本 2003 宮部みゆき
宮部みゆきは当代随一の人気作家にして、類まれなストーリーテラー
であることは間違いない。代表作「火車」は現代に生きる女性の孤独と哀しさを
描いて、胸に沁みるいい作品であったし、「模倣犯」は、百人以上の登場人物が
1人1人厚みをもって描き抜かれた重い手ごたえに満ちた連続拉致殺害事件もの
であった。エンターテインメントとしてはあまりに深刻すぎ、読後感も
いいとばかりは言い切れないが、圧倒的な存在力で群像としての人間と社会を
描き上げたという意味で、記念碑的な作品であった。それまでももちろん、
宮部みゆきのファンであったけれど、この作品には単なる娯楽に終わらない、
人間存在そのものへの問いを突きつけられた気がして、
深く感動してしまったのだった。
 特に人間と人間の関係が鏡像関係のように互いを照らし出すように
置かれているのが効果的で、真犯人ピースとそれを追い詰める塚田真一も、
塚田真一を追い掛け回す樋口めぐみと兄思いのけなげな妹高井由美子も、
一種の鏡像としてその同質性・異質性を照らし出す存在となっている。
犯行の被害者の家族も、加害者の家族も、等しく被害者なのだという
メディア社会の中の人間関係は、底なしに哀しい。純粋な悪の化身かと
思われた男もまた、だれよりもさびしい孤独を抱えている。
 絶対の「悪」も、絶対の「善」も描き出さず、すべての人間が相対的な
存在として描かれている点で、これは宮部みゆきの新境地を代表するものとなった。
犯罪小説を書きながら、ほほえましい、暖かなと評された宮部みゆきの小説は、
ここで始めて、本当の「悪」を描き、「悪」を生きたのだろう。これは、
ドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」を思わせるよう輻輳する犯罪ドラマを
見事に描きぬいた3,500枚もの大作であり、その年のベストセラー
となったばかりか、各賞を総なめにした話題作であった。
 ミステリの興味は、誰が、どのように、どんな理由で殺したかが
問題になるのが普通だが、宮部みゆきの作品では、「誰が」も、
「どのように」もほとんど問題とならない、誰がは早い段階からわかっているし、
「どのように」については書かれないことが常である。「どんな理由で」
というところだけに宮部みゆきはそのエネルギーのほとんどすべてを注ぎ込んで
描いているが、それも具体的に書かれるというよりも、読者の想像にまかせ、
読者だったらその理由をこう考えるというところに委ねているのがすごい。
重い問いを投げかけられて、殺人者になり替わって、その人生を
生きなおしてみることを強いられる。強いられることが、深いところで
揺り動かされる快感でもあるような、そういうかたちで、読者は犯罪を
後追いで生き、体験する。犯罪者はある時は被害者と双子のように
相似た境遇にあり、切ないほど一体でもあるのである。
 こうした宮部みゆきの社会派としての目の配り方、充実ぶりには、
デビュー当時からのライバルであり、ともに賞を競い合ってきた
高村薫の影響があるように思われる。2人はそれぞれ1980年代の後半から、
相次いでミステリ界にデビューし、交互にあらゆる賞を総なめにしていく。
私生活でも親友であるという2人は、一方は庶民派、ほのぼの系であるのに、
一方は鮮烈な男のロマンを書くというかたちで全く対照的な作風を
持っていたのであるけれど、この「模倣犯」や、家のローン破産を扱う
「理由」などの社会派作家として宮部みゆきが自立してくるで、
両者は明らかに相互に影響しあっている。宮部みゆきが
社会全体の体制としての悪を見つめようとするまなざしまで獲得しようとする
過程は、「レディ・ジョーカー」「マークスの山」など、社会体制の暗闇を突
高村薫の作風に深く感化されているとおぼしい。
 2人は作家としての出発をともに、会社員として、他者の言葉をワープロで
書くことから始めている。昼間は会社員としてワープロで記録をつくらされ、
家に戻って自分の言葉を取り戻して小説を書く喜びを発見した人々だ。
ワープロ登場とともに、自分の言葉を手に入れ、自分の思いを紡いでいくこと
を知った二人は、相次いであふれるように作品を発表し始める。
平安の女性たちが書くことを初めて知って、その喜びに震えたように、
宮部みゆきも高村薫も自分の小説世界をワープロを打つことによって初めて知り、
その喜びに震えているのだ。
 彼女たちの文体が女性文体ではなく、どちらかというと男性文体であることも、
彼女たちの出発点が他者の言葉を書くことにあったことを考えると
うなずけるものがある。男たちの言葉で、男たちの思考を記述しながら、
明らかに、従来とは違った、新しい女性を描きあげていくところに、
2人の新しさと強さ、したたかさがあったのだろう。
 エンターテインメントから出発しながら、2人の作家は、単なる暇つぶし
を超えたものに挑戦しようと、新しい戦いを挑んでいるように見える。
読者の心をあくまで掴みつつ、そこまでいってしまうとは誰も思っていなかった
境地に筆を進めていく。未知の扉を開けようとしている2人のそれぞれの
競い合いが、現在も熾烈に繰り広げられている。本を読む人が少なくなりつつある
現代にあって、なお文学を面白く、楽しく、勢いづかせてくれる2人の作品を
この1ヶ月あまりで20本あまり読んだ。ここには、現代の紫式部・清少納言がいて、
現代という社会を不敵に相手取って闘いを挑んでいる。その熱気に触れ、
その闇を覗き、その問いに向き合う快楽にしばし酔ってみてはいかがでしょうか。
(文学部教授 三田村雅子)
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