フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
2004年度16-2・先生方の一冊〜コミュニケーション学科設立記念 諸橋先生大特集-1
2004年5月17日発行読書運動通信16号掲載記事4件中2件目
特集:先生方の一冊〜コミュニケーション学科設立記念 諸橋先生大特集!
*この記事は1-5まであります。
読書遍歴、あるいは本との関係
「本」はあったが「おとな向け」過ぎた50年代後半
小さい頃から本好きだったが、ウチも標準的にビンボーだったので、
子どもらしい絵本はほんの少ししかなかった。
中でも、たった1冊の「乗り物」の絵本はお気に入りだったが、
それ以外は父がぼくにあてがったアメリカの分厚い絵本スタイルの
辞典のようなものを繰り返し見ていた。
1950年代の後半には、まだ近所には外人ハウスがあり、
道路では濃紺のアメリカンスクールのバスやUSエアフォースのジープ、
ぺったんこで幅広い外車が走り、近くのアメリカ人の子どもたちと
遊び場の縄張り争いのケンカをし、外人ハウスにはなぜか日本人の女性がおり、
クリスマスには玄関にリースやイルミネーションがかけられ、
数駅行けば広いひろいアメリカ軍基地がある時代だったのだ。
英語による辞典絵本の絵柄は、そんなアメリカの「独特の匂い」を伝えていた。
ほかに「子どもらしい絵本」といえばせいぜい、幼稚園に上がる前、
講談社から刊行されていたディズニー映画のシリーズ絵本くらいで、
これはほぼ全巻そろえてくれた(しかし後に知人の家にはさらに続刊の本が
揃っていたのでショックを受けた憶えがある)。
親の方針もあったのだろう、年齢より高いものをあてがわれ、
幼稚園に上がる前後からは『少年サンデー』『少女フレンド』のようなマンガ雑誌、
小学館の学年雑誌『小学3年生』をたまに(たとえば旅行先で)買ってもらった。
しかし何せビンボーだったので継続的に買ってもらう余裕などなく、
これら数冊の雑誌を暗記するほど読むか、創刊号から揃っていた
母の『暮らしの手帖』の写真を繰り返し眺めるしかなかった。
いわゆる「子ども名作全集」や「偉人伝」のような子ども向けのものも
全く買ってもらえなかったので、従兄妹からもらった名作集を、
これも繰り返し読んだものだった。
小学校に入る前から、1950年代はじめに配本されぼくが生まれる前から家にあった、
筑摩書房の文学全集の宮沢賢治や芥川龍之介、河出書房の世界文学全集のマーガレット・ミッチェルやヘッセ、全巻そろっていた下村湖人の『次郎物語』などに、
親がルビを振ってくれて、読まされていた。しかしいかんせん漢字が
旧字体だったりして読みづらいことこの上なく、読んだ気がしないし
当然だが最後まで読了できるわけがない。
遅ればせながら、近所で1人くらいいた子ども向け名作全集を全巻持っている
家へ行っては、内外の子ども向け物語を借りてきて読んだりしていた。
最初の「文学によるインパクト」は、小学校1年の時、3人きょうだいのいる
隣の家から借りてきた『坊っちゃん』だ。
出だしから笑い転げながら読んだもので、「おとなの文学は大したもんだ」と
感心したものだった。それ以外にまともに本を買ってもらったのは、
筑摩版でとりあえず読んでいた大好きだった賢治の、吉岡たすくの挿絵の入った
岩波版『風の又三郎』と『銀河鉄道の夜』の2冊で、多分小2か小3の時だったと思う。
表題作や「セロ弾きのゴーシュ」「注文の多い料理店」以外に
「グスコーブドリの伝記」と「よだかの星」が可哀想で悲しくて好きだった。
 また、月1回学校で希望者に販売される学研の『かがく』と『がくしゅう』は、
4年生くらいまで買っていた。実験セットなどが魅力のこれらを購入していたのは
クラスで3分の1くらいだったかもしれない。
ぼく以上に本や雑誌と縁のないクラスメートが大多数だったのだ。
考えてみれば、2歳半からバイオリンのレッスンに通い、4歳からは
ピアノを習っていたのだから、ぼくは充分「恵まれた子」だった。
 もちろんリアルタイムで放映されていた『鉄腕アトム』の、
光文社カッパコミクス版「シール付き」は創刊された小学校2年(1964年)の時から
揃えていたが、当時マンガは親から禁止される筆頭代名詞だった。
結局、全巻揃えることができず、のちのちまで悔いが残った。
 どこの地域、いつの時代にも、浦沢直樹『20世紀少年』の「ともだち」のように、
親から潤沢に玩具やプラモデル、名作全集、マンガ雑誌、マンガ単行本、
学年雑誌を買い与えてもらえ揃えている子どもがいるものだが、
そのような家の子どもが羨ましかったのが正直なところだった。
子ども期に子どもは、「我が家の階級」を否応なく知らしめられ、自覚させられる。
「遅れてきた子ども期」を取り戻すかのようにマンガの膨大な収集が始まるのは、
大学院に入ってからの20代後半になって以降である。
また、へたな町の図書館よりも多いであろう小説・学術書などの
現在の蔵書(と言うより本フェチ)は、ビンボーなために子どもの頃
好きに本を買ってもらえなかった反動だ。現在では、狭いマンション3部屋に
本が天井まで平積みとなり(しかも1部屋はドアが開かず、「死蔵」である)、
本棚の前、玄関、靴箱の上、トイレ、万年床の脇、テレビの前、箪笥の上、
ソファの脇、ピアノの上、あらゆるところに本があふれて、
ぼくと母親は立って寝ている。
「ともだち」=フクベエのように雑誌には折り目をつけず、
マンガ単行本も全巻そろえ、学術書もマンガ単行本も文庫本も
表紙カバーには全てパラフィン紙をかけ、蔵書印を押しているのだから、
「病膏肓に入る」と言うしかない。
Copyright(c) 2000-2006, Ferris University Library. All Rights Reserved.