フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
2004年度17-2・特集 先生方の一冊-2
2004年6月10日発行読書運動通信17号掲載記事3件中2件目
特集:先生方の一冊
*この記事は1-2まであります
ウィリアム・スタイロンの「シャドラック」を読んで(2) 文学部英文学科 井上勝教授
それから6年後、私はウィリアム・スタイロンの「シャドラック」
(『タイドウォーターの朝』1993年)に出会った。
「シャドラック」は作者が10歳の頃の実際の出来事を元に
想像力で再構成したものである。
作者の分身である10歳のポール・ホワイトハーストが語り手となっている。
ヴァージニア州タイドウォーターのダブニー家は大きな農地を所有していた
ヴァージニア州第一の家名と唱われた立派な家系であった。
しかし、現在の当主ヴァーノン・ダブニーの父親の代で家名を失ってしまっていた。
落ちぶれたとは言え、まだ幾らかの農地を所有していた。
ダブニー家はその農地でウィスキーの密造をしてやっと完全な貧乏状態を
凌いでいる有様であった。
そのダブニー家と関係のある人物としてシャドラックは登場する。
物語は1935年の夏、ヴァージニア州タイドウォーターに
信じられないほど老齢の黒人の亡霊が現れることから始まる。
亡霊のような黒人の老人がシャドラックである。
シャドラックは「99歳」という高齢で、タイドウォーターに現れた、
あるいは辿り着いたときには死にかけてもいたのである。
彼はその年齢でアラバマ州クレイ郡から600マイルもの距離を
4ヶ月以上もかけて旅してきたのであった。
道路標識も道路地図も読めない彼が旅をするのに頼りにしていたのは
どうやら北の方角を探る彼の鼻であった。
彼には過酷な旅であった。
それでも彼がひたすら北のヴァージニアを目指して
600マイルもの距離を歩きとおしてきたのは「ダブニー家の土地で死ぬ」という
願いに駆られてのことであった。
ダブニー家の土地はシャドラックが生まれ育った土地だったからである。
1935年に99歳だというシャドラックはダブニー家の農園で
1836年生まれたことになる。
彼は奴隷として生まれたのであった。
そして南北戦争前のある時期に深南部のアラバマへ売られていた。
南北戦争後は奴隷の身分から解放されて小作人となり、
3回結婚し、多くの子供も儲けたようであった。
しかしその後、70年の時間の中で妻はおろかすべての子供たちにも先立たれて、
今は孤独の身となっていたのである。
死期が迫ったことを悟ったシャドラックは自分の出生地であるばかりか、
自分の死を見取ってくれるかもしれない人たちもいて、
自分の知っていた人たちが埋葬されている土地であるダブニー家の地を
老体に鞭打って目指したのである。
しかしそこは確かにダブニー家の先祖たちが眠り、
奴隷たちが眠っている所ではあっても、
生きているとき両者が区別されていたように、死んだ後の墓地でも
数フィートの距離を置いて別々の区画に分離して埋葬される土地でもあった。
それをシャドラックが知らないわけはなかっただろう。
それでも彼がそこを目指したのはそこが彼にとっての
命の原点だったからということになるのだろう。
人は死ぬとき、自分の存在の奥深くにあるものが見え、
その奥深くにあるものにつき動かされて行動を起こすものかもしれない。
 シャドラックは死ぬ間際水車池が見たいと言い出す。
ダブニー家の者は彼の願いを叶えてあげる。
そこは彼が奴隷の子供であり、やがては奴隷の苦役に
就かされることになったとしても、そして実際アラバマへ売り飛ばされるという
現実が待ち構えていたとしても、幼い子供としてまだ社会の枠の中に
組み込まれる前の、言わば無垢の状態が有り得た世界だったのであり、
水車池を死ぬ前に眺めやることで彼にとっての無垢の世界へ
帰り得たのでもあったのだろう。そして彼は死ぬ。
ダブニー家の者にとっては彼の埋葬が問題であった。
彼の願いは同じ墓地であっても白人と黒人は区別されて、
彼が埋葬されるのは奴隷の区画でしかなかったとしても、
先祖の埋葬されている所に埋葬して欲しいということだったからである。
けれども、法律はそれを許さなかった。
私有地に人を埋葬するのは法律違反だからである。
結局シャドラックはどこかは書かれていない所に埋葬されることになる、
というところで物語は終わっている。
私は故郷とは何か、あるいは私たちにとって自分の場は何処にあるのか、
ということについて偶然にも南部の白人、そして南部出身の黒人の
両方の側からひとつは1987年に生の声として、
もうひとつはそれから6年の年月を経て、物語の形で聞いたことになる。
ふたつの声は私の中でステレオ的効果を持ちながら、
視覚的には合わせ鏡のようにもなっている。

編者注:NAACPとは・・・
National Association for the Advancement of Colored People
(全米有色人地位向上協会)
アメリカの人権擁護団体で、創立1909年、会員数50万人をもち、
マイノリティの地位向上を目指しているNPO。
井上先生のエッセイ如何でしたか?次回は馬橋先生、並木先生、春樹先生の 《一冊》をお届けする予定です
Copyright(c) 2000-2006, Ferris University Library. All Rights Reserved.