フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
2004年度18-2・特集 先生方の一冊-4
2004年7月7日発行読書運動通信18号掲載記事3件中2件目
  特集:先生方の一冊
*この記事は1-4まであります。
読書運動通信18号は、先生方に行ったアンケートの回答の第4回目です。
今回は国際交流学部の早川先生と馬橋先生、春木先生の回答を掲載しております。

質問]
1. 好きな本や作家について、ご自由にお書きください。
2. 今、フェリスの学生に薦めたい本があればお書きください。
3. 先生の「青春の一冊」及び、その本にまつわるエピソードをお書きください。
4. 今から読みたいと思っている本があればお書きください。

*回答は先生からいただいたものをそのまま載せています。

国際交流学部 春木良且教授
1. 好きな本や作家について、ご自由にお書きください。

総務省の情報通信白書などによれば、書籍の出版数は、
1973年までは年間1000冊程度だったのが、
それ以降の10年間には毎年7000冊にまでなり、
さらに今日では年間数万冊の発行量になっています。
さすがに、その全てを読んでいる人間は一人もいないでしょう。
つまり本との出会いは、「偶然」なのです。
誰かに薦めてもらった本が気に入ったとしても、その「誰か」と出会わなければ
読んでいなかったと考えることもできるわけです。
いつも結局は同じような傾向の本を読んでいたりするということがありませんか?
それは本との出会いの可能性を狭めている結果なのです。
だとするならば、その偶然の出会いの可能性を極限まで高めることが、
私の読書に関するポリシーです。
私は二十代の頃から毎月何回か、いくらかのお金を持って神田や高田馬場の
古本屋街に行きます。
店先に3冊500円とかで山積みになっているものから、
何も考えずに選び出していき、片っ端から何も考えずにただ読んでいきます。
最初は状態が綺麗なものや装丁が珍しいものなどを選んでいましたが、
最近は「読んで、読んで〜」と語りかけている古本が分かるようになりました
(笑うなって)。
自分の価値観をできる限り排除することで、本を通して世界が広くなりましたし、
多くの作家にも出会えました。
山川健一や河野典生、落合恵子、森瑶子などは、そうやって出会った作家です。
山川健一などは、30代の頃行きつけだったバーで何回も目撃していたことを知りました。

三浦)本との出会いは偶然。
そう考えると本屋さんに行って本を手に取ることが
楽しくなりますね。自分に「読んで〜」と語りかけてくる本を
私も分かるようになりたいです。
そうすれば、今まで偶然だった出会いが必然になります。
私が本を選ぶのではなく、本が私を選ぶということになる・・・。
余計なことまで考えてしまいました。

2. 今、フェリスの学生に薦めたい本があればお書きください。

薦めたい本などありません、実際何冊か自分で書くようになって、
それこそどんな思いで本を作り上げているかがわかると、
どの本でも貶すことはできませんし、全ての本を読んでみたいと思います。
別にここで説教とかする気はありませんが、本だけではなく人との出会いにも、
できるだけ偏見や先入観を無くするべきじゃないかなー、と思う次第です。

三浦)確かにそうですよね。もっともなご意見有り難うございます。

3. 先生の「青春の一冊」及び、その本にまつわるエピソードをお書きください。

フェリスブックスN0.5として『見えないメッセージ:情報と人間の関係をさぐる』
という本を書きました。
その本を書くにあたって、1964年に光文社カッパ・ビジネスという
新書で出た南澤宣郎という人による『電子計算機』という題の本から
重要な部分を引用しました。
これはおそらくコンピュータに関する一般的な解説書としては、
日本で最初期のものの一つです。
40年以上前の本ですから、今読んでみるともちろん技術的には
古くなっているのですが、敗戦によって荒廃してしまった日本という国が
技術によって成長を遂げようとしている瞬間の、どこか高揚感のある本です。
私の青春の一冊といえるかもしれません。
で、著者の元小野田セメント顧問南澤宣郎さんに、ご挨拶方々
アドバイスを頂戴に伺いました。
編集者の方がわざわざ消息を探してくださったのです。
南澤さんは、昭島にある特殊老人養護施設で暮らしておられました。
実は私も30年以上も前にその本を読んでとても心に残っていたのですが、
その時が初対面でした。
1918年生まれの南澤さんは、ご高齢でまた病気療養中でしたが、
私のために長く時間を割いて頂き、原稿へのアドバイスや
昔の貴重なお話を頂戴しました。
私が若い頃読んで感銘を受けた本の著者に、
自文の書いたものを見ていただくという、それは貴重な体験でした。
それこそ、言い古された表現ですが、人との出会いの素晴らしさを感じました。
多分ご存知は無いと思いますが、南澤さんは、対IBMのために国内で政府主導で
情報産業を立ち上げることを政府に進言し推進してきた張本人とも言うべき人です。
日本の弱電機メーカーにコンピューターを作らせた黒幕が、
彼と言えばわかるでしょうか。F通とかN電気なんか、
みんなその流れにあるのですね。
もしその時にそうした政策決定がなされていなかったら、
日本では情報産業の立ち上がりは数十年遅れたはずです。
韓国のIT状況を見ればわかると言えばよいでしょうか。
南澤さんには、その後も研究室に励ましのことばとかいただき、感激しています。
実は私には、師と呼べる人がいません。
自分の道は自分で切り開いてきたつもりなのですが、
「あー、こういう師匠がいたんだ俺」と、お年を召された南澤さんと、
午後の日差しの中でお茶を飲みながら
お話をさせていただいている時に思ってました。
何時間もお話をして、ホームから外に出てみると、
米軍基地に着陸する米軍の輸送機が低空で頭の上を過ぎていくのが見えました。
あれから数十年、私たちは何をしてきたのでしょうか。
そしてこれから何を成し遂げていくことができるでしょうか。
・・・などと、柄にも無く考えてしまいました。
尚、フェリスブックスで書いた原稿は、本の数倍にのぼりました。
没になった原稿をまとめたものが、岩波書店のジュニア新書から
『情報って何だろう』という題で出版されました。一度、情報操作とか、
イエロージャーナリズム、デマなんかについてまとめておきたかったので、
いいチャンスでした。
本との付き合いを、書く立場から考えてみました。
時には実用書が、文学以上に感銘を与えることだってあると思っています。
いい本、いい人と出会われんことを。
三浦)日本の情報産業の礎は南澤さんがお築きになられたなんて知りませんでした。
皆さんも是非読んでみてはいかがでしょうか。
春木先生の本と併せて読んでみるのも面白いのではないでしょうか。
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