フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
08-1・花盛りの読書論
2003年8月31日発行『読書運動通信8号』掲載記事4件中1件目
 涼しい夏もようやく終わろうとしています。
皆さんはゆっくりお休みが取れましたか。
私は秋に本学で行われる日本文学国際会議(源氏物語と日本文学研究の現在)
の準備など、心に離れない仕事もあったのですが、それ以外ではもっぱら
読書に浸り、散歩をする毎日でした。
 読書運動を展開していると、私個人の読書の好みもありますが、
時代の読書の風景全体が気になってしかたなく、『人はなぜ、本を
読まなくなったのか』別冊・本とコンピュータ(4)や、雑誌『環』
の特集号「読むということ」など花盛りの読書論を読む機会が多くなります。
読書の風景がこれからどうなるのか。心配というよりも、興味津々で
このメディア変換の只中に生きているというザラついた感覚を味わっています。
その中から感じたことをいくつか。
 読書の危機とか出版の危機とか叫ばれているけれど、日本ほど人文系の本が
売れていた国はなかったし、この大正から昭和にかけての100年余りが、
歴史のなかではむしろ例外的な本信仰の時代だったことを改めて
振り返っています。今の本が水膨れしすぎているので、本当に必要な本、
残る本は多くはないかもしれません。
 そうした中で韓国の読書運動が、国、地域、組織を挙げた熱気に溢れるもの
となっていることも気になります。日本よりもIT化が格段に早く進んだ
韓国では、そうした情報化社会の欠点を補うように、読書運動が高まりを
見せています。韓国の首都ソウルを走る地下鉄には自由に読める本を
網棚に置いた地下鉄文庫が設置され、市民団体による学校に良書を送る運動、
子供のための読書教室、読書キャンプ、読書旅行の企画が催されている
といいます(韓淇皓)。実に積極的な試みであり、バランスのとり方で
はないでしょうか。
 韓淇皓氏によれば、「韓国では、子供の本が元気だ」そうで、その理由は、
自分のためには仕方なく実用性の高い本を選ぶ人々でも、自分の子供のためには
想像力をかきたててくれる本や「感動」を盛り込んだ本を中心に選んで
読ませようとするからだそうです。そしてそれは、過去の学閥や人脈が
通じなくなったメディア変換とベンチャー起業の嵐の中で、人間の創意と
想像力がどれほど重要か、感じられるようになったからだと韓氏は分析します。
 身に沁みる、ある意味で耳の痛い話ではないでしょうか。
こうした隣国の状況を見ると、日本は学閥や人脈に寄りかかる保守的な
気風を残し、新しい時代に対応する弾力的な読書観においてかなり
立ち遅れてきているような気がします。
 日本においても、子供の本は元気であり、本年度のテーマとして掲げた
宮部みゆきをはじめとしてミステリーの分野は活気に満ちています。
古い時代の古い価値観だけで、本の輪郭を狭めてしまうことなく、
新しい時代の息吹を汲み上げた読書はどのように可能なのか、
改めて考えてみたいと思います。
(文学部教授 三田村雅子)
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