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2003年8月31日発行『読書運動通信8号』掲載記事4件中2件目
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『恋する伊勢物語』 俵万智/ちくま文庫
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源氏物語の勉強がしたい。その一心で文学部を目指した頃があった。
ろくに読んだこともなかった物語に、並々ならぬ熱意を燃やしていたことは、
今考えても不思議でならない。きっと面白いはずだ。
そう信じきるだけの何かがあったに違いない。
私に古典のおもしろさを説いてくれた1冊として、こんな本がある。
高校生の頃、受験勉強の「素材」に過ぎなかった『伊勢物語』を、
1つの作品として読み、味わうことへのきっかけを与えてくれた本である。
古典のおもしろさは容易にはわからない。時代という壁、言葉という障害、
異質な文化、環境、それら徹底的な差異の中から、幽かに染みるものを感受し、
現代のものへ、そして自分のものへと享受、再生していく。そうしてできたものが、
この『恋する伊勢物語』ではないかと思う。著者の鋭敏な感覚をもって、
現代に甦った「伊勢物語」には、「古典」が有する違和感が消えている。
そこには当然あるはずの時代の隔たりがない。風俗も習わしも、
ことばの意味さえよくわからなかった「古典」がいつの間にか私たちの
生活の中にある。物思いに耽る夜も、なかなか言い出せない想いの内も、
突然告げられた別れも、なんだ、現代と変わらないじゃないか…。
それどころか、行く春を惜しみ、夏の暑さに駆られ、
次第に枯れゆくものの中に涙する、季節の叙情と共に生きるその姿には、
同調しつつも猶、感受し切れぬものがある。
初めは違和感ばかりが際立った「古典」の中に、いつの間にか共感が生まれ、
やがて魅せられる。輪切りにした文法も、逐一調べた古文単語も次第に
必要なくなっていく。(「あはれ」に変わることばは「あはれ」でしかなく、
「後朝」は「きぬぎぬ」だからこそ、もの哀しくて美しい。)歌人である
著者が解する歌物語もまた新鮮である。
現代へと引き寄せることによって、ようやくかいま見ることができた
「古典」であるが、この本を読み終わる頃、今度は自らが向こう側(古典)の
世界へと渡ってみたくなる。俵万智が読む「伊勢物語」に誘われて、自分が読む
「伊勢物語」が知りたくなる。そうやって、扉を叩くきっかけを
与えてくれた本である。
その翌年、私は念願叶って日本文学科に入学した。
きっとおもしろいに違いないという漠然とした憧憬を胸に。
それから7年…。その期待は今も尽きない。
(日本文学専攻博士課程後期1年 高橋汐子)
*今年の6月、『恋する伊勢物語』に続いて
『愛する源氏物語』(文藝春秋)が刊行されました。
ぜひ併せてお読みください。
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