フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
35-6・紹介 宮沢賢治の本〜第3回
読書運動通信35号 掲載記事7件中1件目 2006年8月31日発行
『グスコーブドリの伝記』
『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』収録  集英社
請求記号 913.6||Ta33  資料番号 103332970  緑園2階展示

「グスコーブドリは、イーハトーヴの大きな森のなかに生まれました。
おとうさんは、グスコーナドリという名高い木こりで、どんな大きな木でも、
まるで赤ん坊を寝かしつけるようにわけなく切ってしまう人でした」

『グスコーブドリの伝記』は、こんなふうに始まる。
ブドリは両親と妹と幸せな生活を送っていたが、あるひどい飢饉の年、
一家は離散してしまう。一人になった彼は、生きるために森の「てぐす工場」で
働き始めるが、火山の噴火により、その工場も潰れてしまう。
しかたなく森を出たブドリは、「沼ばたけ」の赤鬚の百姓のところで
オリザを育てる仕事をはじめる。そこで彼は、クーボー博士の著書を読み、
オリザの病気の駆除に成功する。しかし、旱魃で雇い主の赤鬚が零落したため、
6年働いた沼ばたけを去り、クーボー博士の学校で学ぶために、
イーハートーブの町に出た。彼は、博士の紹介で火山の観測や調査をし、
それを農業に役立てるという、とてもやりがいのある仕事をすることになった。
ブドリが27歳になった年、彼が子供のころに体験したような冷害が来ることが
予想された。彼は火山を噴火させ、二酸化炭素の温暖化効果で
冷害を食い止める案をクーボー博士に申し出る。
しかし、その仕事をしに行った者のうち、最後の1人はどうしても逃げられない。
ブドリは言う。

「私のようなものは、これからたくさんできます。
私よりもっともっとなんでもできる人が、私よりもっと立派に
もっと美しく仕事をしたり笑ったりしていくのですから」

 火山はブドリの思惑どおりに噴火し、その冬は平年並みの作柄になる。

「そしてちょうど、このおはなしのはじまりのようになるはずの、
たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、
たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、
明るい薪で楽しく暮らすことができたのでした」

 物語はこのように終わる。
 の作品には、彼の科学好きの一面がよく現れている。
宮崎駿は、宮沢賢治に強く影響を受けたそうだが、賢治の作品に登場する
「科学」の、なんと魅力的なことか! 自家用飛行船をあやつり、
窓から出入りするクーボー博士の飄々とした姿は夢をかきたてるし、
雨と一緒に肥料を降らせたり、火山ガスに含まれる二酸化炭素の温暖化効果で
冷害を回避するアイディアなど、現代の目から見ても斬新である。
(まさか賢治は、後世の人間が二酸化炭素を排出しすぎ、
危険なほど地球温暖化を進めてしまうとなどは思いもしなかっただろう)
 賢治は作品の中で「理想」を見せてくれる。
「ソウイフモノニ ワタシハナリタイ」という理想、
「暖かいたべものと、明るい薪で楽しく暮らす」という理想。
それを実現するために、生前の彼は、貧しい農民のために農事指導や
肥料設計に夢中になって奉仕した。が、現実には、ブドリのように
めざましい効果を上げることもなく、当の農民からは変な人だと
思われていた節もあったらしい。彼の行動の軌跡をたどると、
たしかに、計画性、社会性が乏しく、独り善がりなところもあるように感じられる。
『グスコーブドリの伝記』は、1932年、彼が36歳のときに発表した、
最晩年の作品である。この作品は、賢治の「あり得べかりし自叙伝」と
言われている。彼の37年の人生の中で、現実に働いていた期間は全部まとめても
5年程度である。それ以外の期間は学生だったり、病気療養中だったり、
所詮は裕福な実家に守られて生きていた人であった。
その罪悪感が、貧しい農民への無茶な奉仕へと駆り立てたのかもしれない。
   作品には独特の愛とロマンがあふれ、非常に個性的で圧倒的な魅力があるが、
どこか、心に傷を負った賢治の叫びが聞こえてくるようである。
(図書館 鈴木)
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