フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
39-6・紹介 宮沢賢治の本
2006年12月22日発行読書運動通信39号掲載記事7件中6件目
特集:1.恋愛 2.大学祭報告
紹介:宮沢賢治の本〜第7回
お知らせ:イベント
『なめとこ山の熊』
請求記号 RP||ミヤザ  資料番号 190375960 緑園2F

なめとこ山の熊のことならおもしろい。

これは「なめとこ山の熊」の冒頭である。
しかし「おもしろい」と書かれているにもかかわらず、この話は、
ほのぼのとするような愉快な話ではない。むしろ宮沢賢治の作品の中でも
悲劇的な部類にはいるのではないだろうか。
なめとこ山という自然ゆたかな山があり、そこにはたくさんの熊がいた。
淵沢小十郎という猟師はこの熊のい胆を捕って生計をたてていた。
小十郎は鉄砲で熊を撃ち殺した後に次のように言う。

熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。
おれも商売ならてめえもう射たなけぁならねえ。
ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし
里へ出てもたれ誰も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。
てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。
やい。この次には熊なんぞに生れなよ。

 この言葉の中に、小十郎の複雑な心境が伝わってくる。
熊を殺すことは「生きるために仕方がない」という現実と、
自分に殺される熊に対する、切なくやりきれない気持ちが、
この言葉には詰まっている。
小十郎は捕った熊をさばき、胆と皮を持って街へと売りに行く。
その姿は気の毒なほど惨めなものであった。
荒物屋と小十郎のやりとりが描かれ、
結局、小十郎はあまりにも安い値段で皮を売った。
買い叩かれたことは小十郎にもよく解っていた。
けれども「仕方がない」のである。
このやり取りの後には次のような文章が続いている。

けれども日本では狐けんというものもあって狐は猟師に
負け猟師は旦那に負けるときまっている。
ここでは熊は小十郎にやられ小十郎が旦那にやられる。
旦那は町のみんなの中にいるからなかなか熊に食われない。
けれどもこんないやなずるいやつらは世界がだんだん進歩すると
ひとりで消えてなくなっていく。僕はしばらくの間でも
あんな立派な小十郎が2度とつらも見たくないような
いやなやつにうまくやられることを書いたのが実にしゃくにさわってたまらない。

 これこそ宮沢賢治の心からの声ではないかと思う。
そして1月のある日、小十郎は夏に目をつけていた大きな熊に遭遇し、
殺されてしまう。
引用してみよう。

「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」
もうおれは死んだと小十郎は思った。
そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。
「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」
と小十郎は思った。
それからあとの小十郎の心持はもう私にはわからない。

   そして熊たちが小十郎の周りを、祈るように取り囲むシーンで
この物語は幕を閉じる。
 主人公がひたすらに苦しみ、最後には死んでしまうという、
一見単純な物語であるが、そこにこめられたメッセージはとても深く、
現代に生きる私たちをもはっとさせる。自然や、
その中で生きる人や動物たちのすばらしい描写とともに、
賢治の心の叫びをを感じることができるこの作品を、
是非1度読んでみていただきたい。
                  (日本文学科1年 加藤絵美子)
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