フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
42-3 紹介 私の好きな児童文学 第3回
2007年6月30日発行 読書運動通信第42号 掲載記事5件中3件目
特集:ファンタジーと児童文学
紹介:私の好きな児童文学・第3回
おしらせ:創作コンクール作品募集
★『巌窟王』 アレクサンドル・デュマ 著
『モンテ・クリスト伯』 岩波文庫・赤
請求記号 BR||533||1〜7 資料番号100129640〜700

本が好きだ。
子供のころの読書体験は、後々の人生に大きな影響を与えると思う。
私の好きなベストファイブは、いずれも子供ころに出会ったものだ。
その5冊に、私は何を読んでも必ず戻ってくる。辛いとき、嬉しいとき、
私は、意図せずそれらの本に手を伸ばしている。紙は黄ばみ、
所々破れてさえいるが、あと何十年かしたら、
それらの本と一緒に棺に入りたいとさえ思う。

私の両親は、なぜか童話や絵本の類ではなく『少年少女世界の名作』
シリーズや、『ダリ画集』だの『レンブラント画集』だのを与えてくれた。
本も絵も大好きだったから、私はそれらの前に何時間でも座っていたものだ。
『ファウスト』も『赤と黒』も『カラマーゾフの兄弟』も『戦争と平和』も、
最初に読んだのは子供向けのダイジェスト版だった。高校生になって
一般向けのものに手を出したときに、あまり苦労せずすんなりと読めたのは、
粗筋を知っていたからだろう。
小学生だった私は、詩が特に好きだった。
両親は、私が彼らの書架を漁るのを嫌がりはしなかったから、
そのころのお気に入りは、萩原朔太郎の『月に吼える』だったり、
上田敏の訳詩集『海潮音』だったり、ランボオの『地獄の季節』だったりした。
当然、きちんと理解などしているはずもなかったけれど、それらの詩の言葉に、
妙に官能をかき立てられるような心地がしていた。一度など、母に向かって
「朔太郎って、色っぽいね」と言って、はたかれたことがある。
小学3〜4年生のころのことだ。

話を5冊の本に戻そう。
パール・バックの『大地』、アレクサンドル・デュマの『巌窟王』、
北原白秋の詩集『邪宗門』、江戸川乱歩の『孤島の鬼』、
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』。これが私の基本の5冊である。
『大地』を読まなければ、私は中国語学科に進学しなかった。
白秋の詩は私の想像力を自由に羽ばたかせてくれたし、
乱歩は大好きだった老鍼灸医の影響で、時を忘れて読みふけった。
また、宮沢賢治には感謝してもしきれないと思っている。

『銀河鉄道の夜』に出会えたから、今の私がある。
「なにがしあわせかわからないです。
ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを
進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に
近づく一あしずつですから」
というセリフに支えられて、ここまで来た。
だからこの本が昨年度の読書運動プロジェクトの《フェリスの一冊の本》に
選定されたときは、正直なところ複雑な気分だった。
好きなものをあれこれ言われたくないという、大変けち臭い理由だったのだが、
1年間の活動を通して私は様々な気付きを与えられた。
一人きり本に耽溺するのはもちろん楽しい。しかし、
大勢で読み互いに発信することで、読書はより深く興味深いものになっていく
ということを、私は身をもって知ることができた。

そして、『巌窟王』。
思い起こせば30年前。巌窟王の主人公モンテ・クリスト伯爵は、
私の初恋の人であった。
彼との出会いも、やはり『少年少女世界の名作』シリーズだった。
一般向けのもは『モンテ・クリスト伯』の邦題で、岩波文庫の赤に収録されている。
大変有名な小説なので特に紹介も必要なかろうが、一口に言えば、
冤罪で日も射さぬ牢獄に一四年間閉じ込められていた男が、隣の牢の囚人に
秘宝のありかと学問を教えられ、脱獄して己を不幸に陥れた者どもに
復讐するという、救いと赦しの壮大なドラマであり、
一流のエンターテイメントである。

この作品は1844年から1846年にかけて、当時のフランスの新聞
『デバ』に掲載された。日本では明治時代に黒岩涙香の翻訳が
『巌窟王』のタイトルで出版されている。
私が読んだ少年少女版のタイトルも『巌窟王』だった。

私の両親は、なにかと「忘れなさい、赦してあげなさい」という人だった。
だから私も、よく言えば根に持たない、しかして事実は単に
忘れっぽいだけの人間に成長した。
が、モンテ・クリスト伯爵は、自分を不幸にしたものを絶対に赦さず、
冷酷で執拗な復讐を次々と実行していく。それなのに復讐に成功しても
畏れと空しさばかりがつのり、少しも嬉しそうではない。
人として当然の幸福を理不尽に奪い取られ、さらにその上自ら進んで
虚無に落ち込んでいく彼が、当時の私には、かわいそうでならなかった。
側にいて「いいこ、いいこ」してあげたいと思ったものだ。
作中でその役を担っているのが、伯爵によって不幸から救い出された
エデ姫である。彼女は、幸福と安寧に背を向けた伯爵にとって、
唯一の光明ともいえる存在だ。私の持っていた本には、
大変かわいいお姫様の挿絵がついていた。最後に伯爵と結ばれたときには、
激しい嫉妬にかられたのを今でも覚えている。

その本をもう一度読みたくて、児童図書館や書店を回ってみたが、
版元がどこかかわからないため、どうしてもめぐりあえない。
牢獄で主人公に秘宝のありかと学問を教えるのは、どの本でも
「ファリア神父」または「ファリア司祭」であるが、私が読んだバージョンでは、
「ファリア法師」となっていた。これは大きな手がかりだと思うが、
どなたかご存知の方はいらっしゃらないだろうか。

「私の巌窟王」を捜すために、各社から出版されたものを読み比べていたら、
小説というより単なる粗筋のようなものや、事務的な文章のものが
多いことに気付いた。デュマはあまり心理描写をしないから、
子供向けダイジェスト版にするとそのようなことになってしまうの
かもしれないが、どうにもがっかりしてしまう。
「私の巌窟王」は、文章が大変美しかった記憶がある。
きらびやかな登場人物たちが織りなす恋、冒険、復讐。
それらの描写は綿密で正確で、目の裏に生き生きと情景が
立ち上がってくるようだった。

日が翳ってきたことにも気付かず、薄暗い部屋の一隅で「ご飯よ!」と
母に肩を叩かれるまで読みふけっていたあの日の私は、
まさしく19世紀のシャンゼリゼ通りを馬車から眺めたし、
伯爵と仇敵の息子との決闘の現場に、固唾を飲んで立ち尽くしていた。
今でもときどき、無性にモンテ・クリスト伯爵が慕わしくなる。
彼が私の心から消える日は、きっと来ないだろう。
子供時代こそ、そんな生涯忘れられないような作品に出会って欲しいと思う。
(図書館 鈴木明子)
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