フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
2006年度を振り返って10
このタイトルは1〜13まであります。
大切なこと。  英文学科1年 宮川いづみ
本年度は宮澤賢治という、小・中学生にもお馴染みの作家に
焦点を当てて活動してきた。しかし、正直に言ってしまうと、
私は賢治の作風があまり好きではなかった。宮澤賢治独特の理想郷
「イーハトーブ」の世界についていくことが出来なかったからだ。
 私と賢治作品との出会いは小学校六年生まで遡る。国語の授業で
『やまなし』を習ったのが始まりだった。その授業は課題が自分で
選べるものだったので、よく覚えている。その課題とは、
・ペープサートを用いたグループ発表
・朗読での個人発表
この2つのうち、どちらか好きな方を選んで挑戦するというものだった。
面倒臭がりな私は、当然準備の楽そうな後者を選択した。
 ところが、朗読は予想していた以上に難しく、うまくいったとは
決して言えない出来になってしまった。賢治作品は抽象的すぎて
声のみで表現するには非常に難しいのだ。特に『やまなし』の
場合は謎だらけだ。クラムボンとは一体どういう生物なのか、
「かぷかぷ笑う」とはどんな笑い方なのか、また、カニたちにとって
イサドとはどういった場所なのか。店なのか遊園地なのか、
それとも国なのか。タイトルにもなっている『やまなし』ですら、
いい匂いのするものであるということ以外何も分からない。
どんなに考えても答えが見つからないことに、私は非常にイライラした。
それ以来、私は「賢治作品は理解出来ない」と、自分の中から
遠ざけるようになってしまったのである。
 しかし、読書会など意見交換の場に参加して、答えを見つけることが
1番大切なのではないということに気が付いた。何故なら、
物語の解釈は人それぞれで、とても1つの答えなど見つけられないからだ。
大事なのは、考えること。「結果」よりも「過程」の方が大切なのである。
しかし残念なことに、最近では結果を出すことの方が重視されがちだ。
それは、私達が何でも手に入れられる世の中にいるからだと思う。
流通手段の発達で、私達は欲しいと思ったものはすぐに
得られるようになった。その結果、最近では「待つ」ということが
出来ない人が増えてしまったのではないだろうか。6年生の頃の私は、
分かるはずもない「具体的な答え」を見つけることばかりに集中し、
考えることの重要性を見失っていたのである。
来年度は、あさのあつこの『バッテリー』を中心に、
児童文学やライトノベルなどに焦点をあてていくことになった。
読書会でどんなことを話すのかはその時になってみないと分からないが、
色々なことを考えてみたい。たとえ、答えを見つけられなくても。


読書会の様子
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