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私と賢治と読書運動 日本文学科1年 平石 涼子
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私は、今年度、フェリス女学院に入学して、色々な環境の変化の中、
この読書プロジェクトに参加出来ることになって、
賢治作品に改めて触れることになりましたが、正直、賢治作品は
学校の教科書で、『注文の多い料理店』と『銀河鉄道の夜』をほんの少し
読んだきりでした。また、私がこの読書プロジェクトに入ったわけは、
本を読むことが好き、というだけで、しかもこれといって宮沢賢治が
好きではなかった、いや、あまり興味を持ってはいなかったのです。
だからこそ、読書プロジェクトの存在を知っていても、タイミングを逃し、
夏休み明け、後期の授業が始まる頃になってから、図書館4階の
ミーティングルームへ行ったのです。また、メンバーの皆さんから、
「花巻、行けなくて残念だったね」と言われても、ここ、フェリスでやる
中身の方に興味があったので、そこまで「行けなくて口惜しい」とは
思わなかったのです。しかも、ずっと宮沢賢治を取り上げていく
わけではないし、しかも、今まで読んだことがないものも読めるからいいか、
とすごく軽い気持ちで入ったのでした。
上に記したとおりで、入ったのが遅かったので、まず大学祭が
私にとって初めての大きなイベントでした。しかも、その頃は、
自分は一体何をしたら良いのか分からなかったし、何も出来なかったのです。
なので、私は、読書プロジェクトの中にいるにも関わらず、
1番読書プロジェクトの出し物を楽しみにしていたと思います。
そんな私が、物凄く印象に残っているイベントが、
キダーホールでのますむらひろし先生の『銀河鉄道の夜』の上映会です。
今まで思っていた『銀河鉄道の夜』と違う、人間だと思っていた
登場人物を猫として描いてある映画でした。何故、印象に残ったかというと、
今まで本を読むときは、行間を読むくらいで、ほぼ書いてあるままを
読む事が当たり前だと思っていました。しかし、賢治作品は
180度違った見方をすると、様々な発見が出来る話なのだと、
読者がいて120%になっていくような話なのだと感じたのです。
だからこそ、今まで私は賢治作品に興味を持てなかったのだと
気づいたのです。読んでいて、どこか物足りないというか、
疑問が残るというか、読んでいて消化不良のような感覚をもってしまう
のが嫌だったからです。しかし、この映画を見た後、賢治作品は、
たくさんの見方を考えて読まなくては楽しくないのだ、また、
よく分からないものとなってしまうのだと気づいたのです。
かといって、今までやってこなかったことなので、早々出来るわけもなく、
毎回の読書会では良い意見は言えませんでした。
なので、今年度の読書プロジェクトの活動の中で、新しい本の読み方、
また、本の魅力を知ることが出来ました。
なので今は、賢治作品をもっと色んな風に楽しむために、
やっぱり花巻に行ければ良かったと思います。

幸田弘子氏朗読公演の様子
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