フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
2004年度を振り返って1
このタイトルは1〜12まであります。
3年目の読書運動プロジェクト  フェリス女学院大学附属図書館長 文学部教授 三田村雅子
 初年度マフマルバフ・2年度宮部みゆきを中心に展開してきた読書運動も、
3年目に入って、学生メンバーが主体的に提案するかたちで村上春樹を取り上げることとなった。
読書運動に積極的に参加してきた学生が候補作を読み合った上での決定であり、
実力・人気とも申し分のない対象であったと言えよう。
 3年目に入って、まずなによりも言えることは、
学生の組織がしっかりとしてきて、それぞれの役割分担をこなしつつ
主体的な役割を担うようになってきたことが特徴的であった。
前年度の読書運動の中心高橋由華さんが大学院に残り、
さらに顧問的な立場で助言してくれたのも良かったし、
3年生・2年生がそれぞれ、分担して指導的役割を果たしてくれたこと。
ユニークで魅力的な新入生が多く参加してくれたことなどによって、
ともすればやる気だけが先走ってしまったこれまでの企画に対して、
図書館との協力態勢も充分で、歩調を合わせて、
読書運動のプロジェクトを実行に移していけるようになったことが大きかった。
 図書館でも、役割分担をしつつ強力な援助体制を敷いてくれたお陰で、
連絡も密になり、プロジェクトの実行にあたっても、
一緒に成し遂げたという意識を双方が持つことができたように見えるのは幸運だった。
唐突に初めてしまい、何がなにやらわからないままに、
あっという間に一年が過ぎてしまった1年目と比べると、
態勢の充実度には格段の違いがあった。
 ポスターの制作まで学生が密接に関わり、満足のいく質のものができたこと。
「読書運動通信」を学生の企画・図書館の協力によって発行していたことも、
昨年度、三田村が個人的に企画・依頼・制作することが多かった昨年度とは
うって変わった様変わりで、学生の自発的な動きが生かせた良い点だった。
学生たちで、独自に合宿までして協議を重ねただけあって、
意欲に溢れた取り組みだったと言えよう。

  その反面大きな挫折の体験もあった。
前期の中心的な企画であった「村上春樹カフェ」も
構想はそうした提案の中から出てきたものであったが、
ここで学生たちのせっかくの意欲をしぼませてしまう出来事が起きた。
学生制作の脚本は『風の歌を聴け』のディスク・ジョッキーに扮しながら、
会場のお客さんとも交流し問題を汲み上げながら、
ディスク・ジョッキーの語りを展開しようとしたものであったが、
著作権の問題をめぐって、作品の安易な引用は許されず、
改変はまして許されないなどの細かい制約があり、
村上春樹事務所とのやりとりが続き、時間的な制約もあり、
結果的に大幅に企画を変更せざるをえなくなり、そこまで、
心血を注いでやってきた学生たちに大きな挫折感を抱かせるものとなった。
 営利目的ではないこのような作品享受、作品変容がどこまで許され、
どこまで禁じられるべきものであるかという点で議論の余地のある事例であったが、
結果的に村上事務所の意向を入れ、喫茶店で村上作品の時代と雰囲気、
村上作品の読みなどをめぐって、対話を交わすものとなった。
苦労して企画した学生も、演じた学生も納得のいかない公演であり、
苦い思い出が残ってしまった企画となった。図書館としても事前に問題を察知し、
ここまでこじらせない対応ができたのではないかと反省している。
 不本意なかたちで展開された公演のないようについては、
確かに問題があったが、苦しい中で投げ出さず、
やり遂げた学生の意欲にはやはり感動させられた。
喫茶店の設定の背景に流された音楽すべて、
『風の歌を聴け』に登場してくる音楽で、
小説の中で大切な意味を担ってくる音楽であったことは、
作品を繰り返して愛読した経験のある観客にとって、心に残るものがあった。
地域の方々で村上作品を愛読した世代が何人も来てくれて、
1970年代の雰囲気について学生と話しを交わすやりとりがあったことも、
良かったと思っている。  結果的に、この公演にいたる過程での無理が重なって、
読書運動の中心メンバーが退いてしまい、もう一人の中心メンバーも
一時休部状態となってしまった。
 このことは中心メンバーに依存していた他のメンバーにとって
大きな衝撃であり、いわば読書運動の存亡の危機でもあったのだが、
2年生の三浦翠さん、3年生の櫛谷さんを中心に、陣容を立て直し、
大学院生となった高橋由華さんの支援もあって、
1・2年生を中心の新しい態勢を立て直すことができた。
それだけ層が厚くなっていたということもあろうし、
学生側にとってみても、何年にもわたって読書運動を続けてきて、
ここへきて投げ出すことはできないという責任感の表れでもあったのだろう。
 色々な意味で残念ではあったけれど、公演を派手にうちあげるのではなく、
地道にできることをやっていくという後半の姿勢は貴重なものと感じられた。

   こうした活動を学生が続けていく上で最大の悩みは、
一般の学生の参加が少ないことで、地域の住民やオープンカレッジの
学生さんたちの参加は目立つのだが、学生さんは忙しく通り過ぎていく人が多く、
一般への浸透がまだまだと感じられる。
 講演はいずれも面白く、内容のあるものだったが、
いずれも観客動員数は大きいものではなかった。読みをどう広めていくのか。
作品を深く読むこと、広く読んでいく姿勢をどう持ってもらえるのか、
今でも苦闘は続いている。
 昨年の宮部みゆきの企画が学生提案の授業「私たちの学びたいこと」
に取り上げられ、先生の熱心なご指導もあって、大変充実した授業となり、
その成果を「宮部みゆき『火車』を読む」にまとめたような
求心的な企画ができなかったことが、一つの反省点として上げられるだろう。
 2004年度もこの学生提案の授業に村上春樹で応募してみたが、
同じところばかりに回すわけにはいかないということで、
取り上げてもらえなかったという事情がある。
前回の「宮部みゆきを読む」の授業が大変魅力的で評価も高かったと思うと、
もう少し、大学全体でのサポートがあったらありがたいと感じられた。
これからは、大学のカリキュラムとも連動しつつ、
読書運動を推し進めていくことが必要なのではないかと痛感されたことだった。

   そうした中で、学生企画のフェリス祭の図書館ツアーなどは、
よく練られた企画で、子供・大人ともに人気を集めていたのが印象的であった。
人数は少なかったが、「私の薦めるこの一冊」の座談会も充実したもので、
地道に活動を繰り広げてきた印象が強い。
 特に前年度(2003年)アンケートを踏まえ、
あらたに設置した「わたしたちの今を読む文庫」の棚は
学生の読みたい旬の作家・作品を揃えた小さな棚として出発したが、
学生・教員からの寄付も多く、充実した本揃えとなってきている。
この棚の利用率が他の棚よりはるかに高いこと、貸出率でも大きいことが、
読者の需要を満たす棚作りになっていることが窺える。
 文庫本のような廉価な本、流行の本などは
買って読めばいいと思われる方も多いかもしれないが、
現在本は買って読むというかたちではなく、読まれることが多くなっている。
ブック・オフなどの新古書店の利用も多く、必ずしも旧来のように
「買うこと」だけが本とのつきあいではない時代がきているというこなのだろう。
 現在また、若い作家たちの活躍がめざましい時代がやってきた。
従来の古典的な教養とは別の「本」への需要が生まれてきており、
新しい読者を生み出していることにも、旧世代の一人として、
できるだけ関心を向けていきたいと思っている。
 この「わたしたちの今を読む文庫」に好きな本を沢山寄贈した学生が、
別の学生がその本の一冊を手に取り、読み始める場面を目撃して、
ひそかに喜んでいることを私に伝えてくれた。
感動が人から人に手渡され、本を愛する人と人の間に、
小さな環・小さな環境が生まれたことを確認する場が作られた。
そのような意味で、小さなスペースではあっても、こうした開かれた本棚が
図書館の一隅に置かれた意味は浅くなかったのである。
 派手な企画だけが読書運動プロジェクトではない。
図書館が学生一人一人の方を向いているのだということを知らせるのも、
読書運動である。これからも、学生の需要に向き合いながら、お薦めの本の展示、
写真展・企画展などの展示などさまざまなかたちで発信しながら、
静かに「読書への誘い」を浸透させていければうれしいと思っている。  
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