フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
2002-3-6活動報告書 各イベント レジュメ、プログラム
この記事は、2002-3-1から2002-3-6まであります。
仏像とブルカの<アフガニスタン>解説年表 地勢 民族
帝国の狭間のアフガニスタン
16世紀 サファヴィー朝 × ムガル朝
19世紀 ロシア帝国   × 大英帝国
20世紀 ソ連      × 米国

1838年〜 第一次アフガン戦争

1878年〜 第二次アフガン戦争

1819年〜 第三次アフガン戦争
      イギリスの対アフガニスタン干渉戦争は同年の講和条約で終結し
      アフガニスタンは完全独立

1973年 クーデタで王制から共和制に移行
      ダーウード首相がザーヒル・シャー国王の外遊中にクーデタをおこし
      共和制に移行→近代化を志向

1978年 軍事クーデタで社会主義政権成立
      アフガニスタン人民民主党政権が土地改革断行→党内内紛と
      イスラーム主義者の反政府運動拡大

1979年 ソ連軍侵攻(アフガニスタン内戦)
      ソ連軍は親ソ派政権を支援→武装ゲリラ(ムジャヒディーン)による
      反ソ闘争の激化

1989年 ソ連軍撤退完了
       干渉戦争の長期化で疲弊したソ連に85年ゴルバチョフ政権が成立し
       撤退断行→武装ゲリラ党派閥間の内戦激化

1992年 首都カブールにムジャヒディーン政権成立
       ラバニ大統領・マスウード国防相(タジク人)のイスラーム協会と
       イスラーム党など各派間の内戦で治安悪化

1996年 ターリバーン政権が成立しアフガニスタンの大半制圧
       イスラーム的慣習法の厳格な適用で治安を回復、女性に対する
       就労・就学制限などで批判をまねく

仏像とブルカの〈アフガニスタン〉

 一方には、粉々にされ空洞となった世界遺産の磨崖仏と、テントのようなブルカに
すっぽりと身体をつつみ目元の透かし模様の奥から視線をおよがせる女性たちの姿。
他方には、歓声をあげながらダイナマイトで仏像を破壊し、女性たちにブルカを強いる
ひげ面のターリバーン。一方に対するいたましい思いがつのれば、
それだけ他方に対する善良な人びとの怒りがたかまる。こうした舞台装置を背景に、
テロリスト組織アルカーイダに隠れ家を提供したかどですでに国連制裁の対象となっていた
ターリバーン政権は、ついにニューヨーク九月十一日事件の報復軍事攻撃の
標的となって崩壊した。ただし、この攻撃の過程で、少なからぬ数のアフガニスタン
民間人が〈必然的に〉巻き添えをくって死傷し、徴兵されたターリバーン兵士の頭上には
新型の大量殺戮兵器が容赦なく炸裂した。この犠牲はしかし、ブルカから解放された
女性たちと英語を流暢にあやつる新しい指導者たちの登場によって
報われるのかもしれない。・・・・だが、それにしても、女性たちはなぜブルカを
脱ぎ捨てないのだ?
 こうした他者の〈自由〉を念じる善良な人びととは全く別の視角から、仏像について、
またブルカについて思いをめぐらせた人物の一人が、映画『カンダハール』の監督であり、
『アフガニスタンの仏像ははかいされたのではない・・・・』の著者である
モフセン・マフマルバフである。映画と著書にあらわれたマフマルバフの思想は
人間の普遍的な感情にストレートに訴えかけるものであり、そのスタイルも平易で
わかりやすい。しかしマフマルバフがイランの知識人であることの意味を考えつつ、
彼の作品を見なおして読みなおしてみるとき、一つの問い、一つの謎が姿をあらわし、
彼の作品は異なる相貌をもって立ちあらわれてくるかもしれない。

地勢

民族・民族
宗教 人口の99%以上はムスリム
民族 パシュトゥ−ン 38%
   タジク     25%
   ウズベク    8%
   ハザラ     19%(シーア派)
   その他     10%
   ※CNN
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