フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
2002-3-9活動報告書 各イベント レジュメ、プログラム
この記事は、2002-3-8から2002-3-9まであります。
忘れられたアフガン難民の悲劇  川崎けい子氏講演会
1.ビデオ「アフガニスタン難民―今を生きる女性たち」上映

2.自己紹介とアフガニスタンに関わるようになったきっかけ
 わたしは、ビデオ作品やテレビ番組のディレクターという仕事を
ずっとやってきましたが、アフガニスタンに関わるようになってから
写真をとるようになりました。
 アフガニスタンに関心をもつようになった直接のきっかけは1998年の秋に
アフガン女性の団体RAWAが開いているホームページhttp://www.rawa.orgを
見つけたことでした。そこには、20年にわたる内戦と過激な原理主義者の支配によって、
アフガニスタンの人々、特に女性や子どもたちが、どれほどつらい状況に
おかれているかが写真といっしょに報告されていました。わたしは、このホームページを
見て大変なショックを受け、アフガニスタンの状況をどうしても日本の多くの人々に
知ってもらいたいと思うようになりました。そこで、RAWAにメールを書き、
1999年の4月にビデオカメラとカメラをもってはじめてパキスタンを訪ねたのです。

3.RAWAについて
 RAWAとは、アフガニスタン女性革命協会
(Revolutionary Association of the Women of Afghanistan)のことです。
自由、民主主義、女性の権利をスローガンに政治的・社会的な活動をしている団体です。
当時20歳だったミーナという女性によって、1977年にカブールで設立されました。
「革命」とあるのは、伝統的に家父長制の強い、男性至上主義のアフガン社会で、
女性たちが、女性の権利を獲得することをめざして、どこにも依存しない
独立した組織を立ちあげるということは、まさに「革命」だったからです。
女性は、ただひたすら男性に服従し、じっと我慢して沈黙していることが当然とされた社会で、
「女性も人間として生きる権利がある」と女性自身が声をあげることは本当に
勇気のいることだったのです。
 RAWAの活動は多岐にわたっていますが、活動の中心は教育です。昨年来日した
RAWAメンバーのマリアム・ラーウィさんは、「九歳のときに父を殺され、その後、
母と姉妹たちとともにパキスタンの難民キャンプにやってきました。やがてRAWAの
運営する学校に通えるようになりました。そのことでわたしの人生は変わりました。
わたしは、人間には、権利があること、そして自分自身と他の人びとの権利のために
戦うことを学びました」と言っています。RAWAは、アフガニスタンとパキスタンで
たくさんの学校や識字教室を運営しています。

4.アフガニスタンの文化と教育
 「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」
の著者であるイランの映画監督モフセン・マフマルバフさんは、アフガニスタンにおける
教育の重要性を語っています。マフマルバフ監督は、イラン国内のアフガン難民キャンプや
アフガニスタン国内の子どもたちへの読み書き教育を推進するNGO活動を提唱しています。
 マフマルバフ監督のふたつの映画「カンダハ―ル」と「アフガンアルファベット」は、
どちらも、アフガン女性の伝統服ブルカを重要なモチーフとした映画です。
ブルカを抑圧されたアフガン女性の象徴と考えています。これには反対意見があるようです。
ブルカはアフガニスタンの文化なのだから、それを認めるべきであって、女性の
抑圧の象徴などと考えるのは、「いわゆる欧米的な偏見」という意見。
「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない・・・」の翻訳者の一人渡部良子さんも、
あとがきでそのようなことを書いています。
 わたし自身は、マフマルバフ監督と同じ、ブルカを女性の抑圧の象徴と考えています。
なぜなら、ブルカは、「女性は男性の所有物」「女性は男性に服従すべきもの」
あるいは「女性は男性を惑わす罪深い存在であるから覆わなければならない」という、
女性に対する偏見、差別にもとづくものだからです。「女性は男性の所有物」という
「文化」があってもいいのではないか、という考え方からすれば、そうした思想に
もとづくブルカも当然「文化」として認めるということになるでしょう。しかし、
わたしは「女性は男性の所有物」「女性は男性に服従し、奴隷になるべき」
「女性を売買する」という慣習を「文化」として認めていいとは思いません。
人間の行為はすべて「文化」なのだと考えるとしても、望ましい「文化」と
そうでない「文化」があり、「女性は男性の所有物」という「文化」は認めることが
できない「文化」なのだと思います。「女性と男性は平等である」という考え方は
「欧米的な偏見」なのではなく、「人類普遍の原理」ではないでしょうか。
 マフマルバフ監督は、「人類普遍の原理」としての男女平等に対する
アフガニスタンの文化の問題を提示しています。最新作「アフガン・アルファベット」の
チラシに掲載されたマフマルバフ監督の言葉「アフガニスタンの少女たちには
教育が必要です。彼女は自分が何も知らないことを知りません。彼女は閉じこめられて
いますが、自分が貧困・無知・偏見・男性優越主義そして迷信の囚人であることを
知りません。」が、すべてを物語っていると思います。
 女性を解放するためには、教育が必要というのは、マフマルバフ監督にも、
RAWAにも共通する考え方です。それから、ガン・カルチャー、すなわち銃の文化、
気に入らないことがあると銃撃戦で決着をつけようとする「文化」、こういう
「文化」も教育によって変えていくべきものではないかと思います。「アフガン・
アルファベット」には、男の子の宗教教育のシーンが何度も出てきますが、
女の子とは別の意味での教育の問題を提示しています。

5.アフガン難民に無関心だった世界
 昨年の9月11日以前、世界はアフガニスタンに無関心でした。アフガニスタン国内は、
これ以上ないほどにひどい状態であったにもかかわらずです。アメリカの攻撃によって、
アフガニスタンの状況が悪くなったようにいわれることがありますが、
そうではありません。アメリカが攻撃する前から、すでに壊滅状態でした。しかし、
ほとんど報道されなかったので、知られていなかっただけです。
 パキスタンだけで200万人以上の難民が住んでいました。1999年の夏から秋にかけて、
アフガニスタン北部でタリバンと北部同盟の激しい戦闘がありました。例えば、
シャマリ地域では、タリバンによって、家も畑も焼き払われ、住民の男性は逮捕されたり
殺されたりし、女性や子どもたちは、無理矢理立ち退かされました。
すぐに立ち去らなかったら殺すと脅されて、着の身着のままでふるさとを追われたのです。
そうした女性やこどもたちは、国内避難民として首都カブールに向かいましたが、
体力のない人々は途中で死に、カブールについてからも何の助けも得られずに
餓死した人が多かったといいます。また、国境を越えて難民となった人々もいました。
パキスタンの都市ペシャワールでは、こうして逃げてきた人々が路上で物乞いしていました。
このころ難民となってパキスタンにやってきた人々には何の援助もなされませんでした。
それどころか、不法侵入として、パキスタン警察に捕らえられて、
危険なアフガニスタンに強制送還された人がたくさんいました。
 また、2000年の秋から2001年の冬にかけて、17万人以上のアフガン難民が
パキスタンに流入しました。激しい内戦と干ばつが原因でした。人々はぎりぎりまで
アフガニスタン国内に残ろうとし、食べ物を求めてさまよい歩き、どうあっても
国内で生存できないとなると、国境を越えて出てくるのです。しかし、パキスタン政府は、
彼らを難民とは認めず、国境の門を閉ざして、難民の侵入を防ごうとしました。
それでも生存をかけてやってくる難民は山を越えて脇から流入し続け、ペシャワ―ル
周辺のジャロザイの「難民」に国連や海外のNGOが食糧を配給することを認めませんでした。
ジャロザイのテントは、難民自身がどこかからか調達して自分で作ったものです。
2001年の冬、ここでたくさんの子どもたちが凍死しました。ちょうど同じ頃起こった
タリバンによるバーミヤンの大仏破壊に対して、世界中が大騒ぎし、日本でも
ずいぶん報道されましたが、ジャロザイで寒さと飢えで死んだ難民の子どもたちのことを
気にかける人はほとんどいませんでした。また、ジャロザイでは5月以降、暑さと乾きで
亡くなる子どもたちが続出しました。
 1999年も2000年も2001年もペシャワ―ル市街は、難民の物乞いであふれかえっていました。
病気の娘といっしょに物乞いする母親、両親を殺されて難民となり物乞いして
暮らす子どもたち、などなど。
 マフマルバフ監督は「アフガニスタンは、世界の干渉にそれほど苦しめられたわけではない。
その無関心に苦しんだのだ」と書いています。
世界のアフガニスタンに対する無関心、冷淡さ・・・にアフガニスタンの人々は
苦しめられていたとわたしも思います。以前、わたしが日本でアフガニスタンについて
話しても、「アフガニスタン? 日本と何の関係があるの?」という反応がほとんどでした。
 昨年の9月以降、日本でもアフガニスタンに関心がもたれるようになりました。
しかし、本当にアフガニスタンの人々の悲しみや苦しみや希望を気にかける人は
どのくらいいるのだろうか、と思うことがしばしばあります。アフガニスタンへの
関心のように見えて実際はアメリカに対する関心(それが反米という関心で
あったとしても)のように思えることがあります。
 この地球上で一番悲惨な地域をあげるとすれば、それは、悲惨な状況にありながら、
その存在に関心をもってもらえず、見捨てられている地域であり人々であると、
わたしは思っています。悲惨な状況それ自体の辛さに加えて、助けを求めているのに
無視されることぐらい人間として辛いことはないのではないでしょうか。
この世界には、悲惨な状況におかれている地域がたくさんあります。
アフガニスタンだけではありません。いま、この瞬間にも、人知れず苦しみ、
助けを求めている人が必ずどこかにいることを忘れないでいただきたいと思います。
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