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2003-2-2活動報告書 講演会（レジュメ、寄稿） |
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この記事は2003-2-1から2003-2-2まであります。
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| 宮部みゆき「火車」を読む−−読者・ミステリ・現代 安藤公美
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ミステリ、或いはよく言われるところの「本格ミステリ」とは、一体何か。その定義は、
実はこの世に存在しません。例えば、「一千億の理想郷」というＨＰでは、本格ミステリ
の
定義を募集していますが、そこでは次のような定義が提示されます。
「全ての記述が謎の伏線であり、物語の全てのベクトルは謎の解決に向かっている」、
「“本格ミステリ”とは“謎と説得力のある解決が中心となった（無関係の要素が
少ない）作品”」、「平凡でないロジック、またはトリックによって（両方あれば
尚よし）、結末の意外性が演出される物語」、「提示された謎を論理的推理によって
解明することを主眼とする小説のこと。読者への挑戦状が挿入される形式のものを
代表格とする。とにかく「いかにも推理小説らしい推理小説」のこと」（埼玉大学推理
小説研究会会誌『ミスフィリア』創刊号 1999年11月）、「(1)『犯罪もしくはそれに
類する事件にまつわる謎を、論理的に解明していくことを主眼とする小説』ですね。
で、その必須構成要素としては (2)「魅力的な謎」「必要十分な手がかり」「明快かつ
論理的な謎解き」の３点。また、さらに含まれることが望ましい要素としては、(3)
「なんらかのトリック」「なんらかのどんでん返し」「論理のアクロバット」「名探偵」
ということになりますね」MAQ（『本格ミステリの“いま”』1998年７月）などです。
それぞれ説得力がありそうなのですが、ただ、謎の解決ということでいうなら、ミステリに
限らず、小説の多くが何某かの謎の解決に向かっているとも言えるでしょう。本格ミステリ、
ミステリを万人が納得する言葉で定義することは、このように不可能です。犯罪の有無が
唯一のジャンル確定の一石になるかもしれませんが、「火車」においてはそれすらも
不明です。
宮部自身は、ミステリの定義について、「私は名探偵物も書いてないし、かっちりした本格を
ほとんど書いてない。そういう私なんかが定義するのは僭越なんだけども、自分なりに
決めているのは、視点の法則を守ること。視点にブレがなく、誰が本当のことを言って、
誰が嘘をついているのか、調べてみなくちゃわからないというルールさえ守っておけば、
それは私にとってはミステリだと思う」（前掲書）と言っていますが、これとて、
とうていミステリの必要条件とは成りえないでしょう。
では、「火車」はどのように、ミステリとしてのアイデンティティを保つのかといえば、
一つには飽きさせない謎の提示という手法が挙げられるでしょう。具体的にいうなら、
婚約者の失踪→動機→履歴書の嘘→誰？→彰子の行方は？→何故乗っ取ったのか→
何があったのか→どんな人か？→名前は？→残された写真の意味は？→どのようにしたのか？→
新たな殺人？→どのように知り合ったのか？→今どうしているのか？→新たな殺人の可能性→
喬子は現れるのか？→語るのか？推測は正しいのか？……ということです。それから
もう一つは、現実とのズレです。前期の授業でも、またこの読書会プロジェクトの講演会
でも行われましたが、実際の元刑事さんのお話を伺うことが出来ました。元刑事さんが、
「火車」と実際の現場とのずれの話をしてくださいました。細かいところは措くとして、
大きく二つのことが指摘されました。それは、「本間刑事が休職中ということはありえない」と、
「新城喬子は、私文書偽造でただちに全国指名手配される」という二点です。これは、
何を意味するのでしょうか。単に作家の無知ということでは勿論ありません。テクストの
望む読者がここに想定されるということなのです。「休職中ということはありえない」
にもかかわらず、そのような設定をテクストが望んだのは、死体のないミステリを
実現させる為に必要なことだったのかもしれません。また、「私文書偽造で全国指名
手配」をさせなかったのは、犯人が簡単に捕まってしまっては困る・罪に問われては
困るというテクストの要請だったと考えることも出来ます。理想の読者は、ここから
物語を再生することが出来るはずです。同じように、小説の結末もまた理解されなければ
なりません。
ところで、ミステリを定義することは不可能だとして、タイプを分けることは出来ます。
ミステリには二つの型があると言われています。一つは、Ａ・クリスティに代表される
「犯人がわからない」型、もう一つは、「刑事コロンボ」に代表される「犯人がわかっている」
型です。「火車」の場合、後者にあたりますけれども、実際に事実や真相が〔推測〕
でしかないという点で、新しいということが出来ます。そこは、ミステリの型に固執している
読者には、不満として表れるところかもしれません。つまり、ミステリであって
ミステリでない、逸脱のテクスト故に、評価が割れるのだと考えられるのです。
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小説の最後で、本間刑事は今まで三人称を用いて説明してきた喬子に、「きみの物語を
聞こう」と突然二人称で語りかけています。喬子は、テクストに不在であるにもかかわらず、
その存在感は非常に大きい。書かれていない「きみの物語」である喬子の物語は、
私たちの想像力の中で書かれた部分以上に存在感をもつのです。
そもそも殺人犯であった喬子は、何故第2のターゲットとされた木村こずえに、本名を
名乗ったのでしょうか。これから殺人を犯そうというのであれば偽名を使っても良さそうな
ところを喬子は律儀にも本名を名乗りました。小説の始まりは、既に「関根彰子」と
名乗っていた喬子は姿を消していたのですから、すると、小説の最初から最後まで、
彼女は「新城喬子」として居たということになります。彼女が不在の期間、読者が果たして
彼女は誰なのかと詮索をしていたその期間こそ、まさに彼女が本名でいた期間なのだと
考えることが出来ます。本名という人間のアイデンティティ、これを剥奪されてしまう
寂しさ、こわさを存分に「火車」は表現していますが、同時にアイデンティティなるものの
脆さもよく描いています。名前、履歴書、健康保険証、カードなどがいかに本人を
証明しないかが、「火車」には繰り返し書かれています。
私はこの小説のキーワードを「看板」と考えています。看板とは、本体を簡単に代表させる
媒体のことです。他人の名前を騙るとは、まさに人の看板を盗む所業でしょう。
それだけでなく、彰子がカード破産に陥った原因でもある、少しだけ良い生活を
満足させるという欲望、蛇の脱皮にも喩えられていましたが、それもまたある意味で
看板の塗り替えに過ぎません。外面と本質、表層と実体という問題も「看板」という
キーワードから導き出されます。哀しくも怖ろしい空洞化現象を「火車」は取り上げて
いるのです。
もちろん「火車」はより直接的に現代的なテーマを取り上げています。前期の授業でも
扱われた「家族」や「クレジット社会」「戸籍法」などです。家族に関しては、本間刑事の
子供が養子であったり、働く妻と家事をする夫を登場させたりと、固定の像を破る人物が
登場します。血縁や年齢など以上に、関係性を優先させる家族観が提出されていることに
なります。カード問題にしても、現代の犯罪の多くの背景にあるサラ金による借金苦を
先取りするかたちで問題にしています。「ちわわにだまされるな！」という弁護士の方の
講演にもありましたが、社会構造の中に組み込まれてしまった汚れた経済に、加担するか
しないかの自己責任も問われることになります。それはカードを使うとか借金をするという
直接的なことではなく、テレビコマーシャルの是非であり、テレビ番組の制作姿勢に
ついてであり、視聴者の選択意識にまで発展する自己責任になります。また、アイデンティティの
脆さも、同じく現代的な問題になっています。住基ネットの是非や個人データの流出問題
など、私が私であることと、私の看板の扱い方の問題にもなります。
このように見てくるならば、確かに学生の言うとおり、「火車」は現代の教科書に
相応しい小説といえるでしょう。そうなのですが、もう一度、理想の読者、モデル読者の
立場に立って考えるならば、果たしてテクストは教科書などと言われて嬉しいのだろうか、
とも思うのです。教科書というと、タメになることがぎっしり詰まった情報本という
イメージと、強制的に読まされるつまらない書物というイメージがあるからでしょう。
ミステリに限らず、本はやはり面白くなくては読みたくありませんよね。宮部みゆき
特有の比喩表現の多用や、Ｓ・キングばりの物語の運びなど、面白さの由来についても
意識的になることが必要とされます。テクストを前にしての「気づき」がとても大切なのです。
プレゼンを通して、例えば「火車」では1989年が実はとても重要な年であると気づいた
学生がいました。本間刑事の妻が交通事故で亡くなった年なのですが、彰子の母親が
死んだ年でもあり、喬子が理想の住宅を写真に収めた年であり、最初の殺人を働いた年でも
あるのです。また、銀座という都市が重要だと指摘した学生もいます。銀座はカード破産に
進む欲望を掻き立てる都市である一方、弁護士事務所のある場でもあり、自己破産という
手続きをすることで、救済される都市ともなるからです。繰り返しの読書の中でこそ
可能な読みでしょう。それから、現代文学の特徴として、ジャンル混交ということが
挙げられています。ミステリであってミステリでない「火車」の魅力もこのあたりに
あるのかもしれません。
もちろん、モデル読者は、褒めちぎるばかりの読者でもありません。図らずも露呈して
しまった様々な問題点への指摘も重要です。「火車」においては、例えば被害者への
関心の薄さや、家族形態には新しさがあったとしても家族意識はより強固にしたのではないか
といった問題も指摘できるでしょう。宇宙に涯がないようにモデル読者の立場も無限に
膨張し続け、届かぬ位置にあるかもしれません。それでも私たちは、常に三つの読者層を
意識しつつ、なるべくモデル読者に近づくよう読みたいと思います。テレビドラマのテープ
起こしをした学生が、「本の「火車」が懐かしい」と発言しました。文字テクストは
無限の想像力を掻き立てます。いつから読書が始まるのかといえば、店頭にテクストの
看板である表紙を見た瞬間からなのではないでしょうか。本を手に取って、感じるところから、
読みは始まっているのだということです。これからも大いに読書という経験を重ねて
いきたいと思っています。 （了）
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