フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
2007-1活動報告書・はじめに-1
2007・活動報告書-1 *この記事は1〜2まであります
文学部教授三田村雅子
図書館の読書運動は5年目を迎え、一層充実してバラエティ豊に
なっていった。これも5年の歳月の積み重ねが生み出したものだ
と思うと感慨深い。今年度はあさのあつこの『バッテリー』を
「フェリスの一冊の本」とし、「児童文学の現在・大人と子供
〜消えるボーダーライン」がテーマであった。近年人気のジュ
ブナイル(大人の読む青春小説)の問題を取り上げていこうと
いう目的であったが、スポーツがテーマの少年物で、当初学生
の食いつきはあまりよくなかった。読んだ人は熱中してその面
白さを語るのだが、読んでみようとしないという点で問題を抱
えていた。

女子であるフェリスの学生がどんな風にこれらのスポーツ物を
読むのか『バッテリー』だけでなく、同じあさのあつこの『ランナー』、
森絵都の『DIVE』、佐藤多佳子の『一瞬の風になれ』、三浦しをんの
『風が強く吹いている』など、スポーツをめぐる少年たちの熱い
ドラマは相次いで登場し、大きな読者層を開拓した。それは
従来の小説の読者層とも、教養の読者層とも違う、新しい読者の
発見だと思われた。何回かの読書会の結果、これらの作品の
魅力が伝わり、口から口に伝わって、フェリスでも爆発的な
読者を生み出していった過程は衝撃的でもあった。

それにしても、なぜ、現代においてこういうスポーツ小説は
人気があるのだろう。スピードの中に生きる感覚、筋肉とバランス、
静止と瞬発、訓練された肉体のしなやかさが、前進する力を
支え、「風」を切って走っていく、その瞬間の感覚、感動を
丁寧に掘り起こすような作業がそれらスポーツの世界から
疎外されている女性作家たちの手によってなされることの
意味はなんなのだろう。もしかしたら、純粋で明るい、文字
通りのスポーツ青春小説は、女性たちのはるかなまなざしの向

こうにしか存在しないのかもしれない。それが女性たちに
とって立ち入ることのできない「聖域」であるからこそ、彼女たち
の憧れは白熱した光となって燃焼しているのではないか。

スポーツのただ中にいる少年たちは、それ自体としてはストレ
スと疲労と自負心と嫉妬によって薄汚く汚れているのかもしれ
ない。それら雑音や不純さが見えないところで、ひたすら美し
い克己と成長が語られる時、これらの美しいスポーツ物は成立
するのかもしれない。多少の屈折はあっても、健康的で、明る
いこれら少年小説はかつての『走れメロス』が引き受けていた
ように過剰な意識のドラマとして語られるが、女性たちの憧れ
の中にしか、こうした純粋無垢な穢れのないスポーツ小説は生
き延びられないのかもしれない。

フェリスの学生はどのような意識でこれらスポーツ物を読んだ
のか、聞いてみたいことである。
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