フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
29・30-3・特集.1 携帯本-2
2005年11月24日発行読書運動通信29・30合併特大号掲載記事16件中3件目
特集:1.携帯本/2・食と文学
お知らせ:1.文部科学省特色GP採択について/2.イベントについて
  
私の「持ち歩きたい本」
私の「持ち歩きたい本」は、出かける場所により異なる。
特に旅に本は欠かせない。私にとって「持ち歩きたい本」は、
旅先で読みたい本である。文学作品の舞台となった土地を訪ねるときは、
その作品を持ち歩き、主人公が歩いた道をたどる。そうできたら一番楽しい。
今まで、川端康成の『雪国』『伊豆の踊子』、島崎藤村の『夜明け前』と
いった名作を手に旅をした。
しかし、いつもいつも名作の舞台を訪ねるわけではないから、
ちょっとそこまで、といった気軽な旅のときには薄い短編を持ち歩く
(カバンが重くなるとウロウロ歩き回れないからである)
先日、そんな「ちょっとそこまで」の旅で3時間くらい
電車に揺られたときのことだ。本を忘れてしまい、駅の本屋で
ふと目に付いた本を買った。辻仁成の『目下の恋人』という作品で、
私はもともと現代小説はあまり読まないのだが、表紙の女性が、
旅先ふうの格好で一心に本を読んでいる姿が印象的で手に取ったのだった。
「目下の恋人」。それはヒムロがネネを人に紹介する言葉だ。
「目下の」とは「当面の」という意味。そんなふうに言われることに、
ネネは傷つきながらも黙っていた。けれど彼女のなかにはいつも、
その「目下の」に困惑する気持ちと、ヒムロが自分と付き合っていて
楽しいのだろうか、自分はいつか捨てられるんだ、
といった不安があいまって彼女を悩ませていた。
ある日祖父の見舞いに行くというヒムロに、ほかの女性と
デートに行くのではないかと疑った彼女はついていくと言い出す。
しぶしぶながら彼はそれを承諾し、二人は出かけていく。
電車のなかでネネはふと、たまっていた不安を漏らす。
しばらくしてからそれに答えた彼だったが、結局二人は言い争いになってしまう。
黙ってしまった彼の手をネネはそっと握った。それからヒムロの実家に着いて、
彼女は彼の祖母から意外なことを聞く。「目下の恋人」とは、それは彼の祖父の
受け売りで、制度に縛られない愛を主張した祖父の、ひいては彼の
「愛」へのこだわりを象徴する言葉だという。隠れていたヒムロの深い思は、
二人が見つめる海の波のようにネネの心に伝わっていくのだった。
ストーリーは電車、バス、そして時間の流れのようにゆったりと進んでいく。
自然とそれは心にしみいった。恋人の態度に困惑しながらも
「でも好きなんだもの」と彼の手を握る彼女の思い、バスの揺れに任せてそれを
握り返した彼の思い、答えの見つからないそれらを、ゆっくりと走るバスと
時間は包んでいく。その情景が、電車に揺られていく私のなかで心地よく重なった。
現実にがんじがらめになった二人の姿が、自然と景色に溶け込んでいくような
情景描写は、私たち読者の心をもやわらかく解きほぐしていくようである。
本の帯には、この作品のテーマといえる言葉が書かれていた。
「一瞬が永遠になるものが恋、永遠が一瞬になるものが愛」
意味がわかるのはずっと先のことだろう。この作品に登場する、
ヒムロの祖父母のように、ずっとずっと時間の流れに身をおいてから
わかることなのかもしれない。
旅に出る、外出する、外の空気を吸う。そんな単純なことだが、
それは自然のなかに身をおきなおすことだ。
そのことにこの本は気づかせてくれた。そうしたなかに身をおくとき、
傍におきたい、「持ち歩きたい」本は、このように何かに気づかせてくれる、
穏やかに、あたたかく包み込んでくれるようなものかもしれない。
電車に揺られる前に見上げた窓に見えた現実を、そっと自然のなかに
おきなおせた本と旅だった。
(日文2年 吉澤小夏)
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