フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
34-4・特集:絵本・児童書-3
2006年7月31日発行読書運動通信34号掲載記事7件中4件目
特集:絵本・児童書
お知らせ:「読み聞かせ会」報告
紹介:宮沢賢治の本〜第2回
 『おそばのくきはなぜあかい』
 石井桃子 著/初山滋 絵 岩波書店
 所蔵無し(横浜市立図書館 所蔵有り)

 人生で一番古い記憶は、くもりガラス越しの薄い冬の日差しに照らされた
小さな水彩画の絵本と、その本を支える父の手だ。父の顔は見えない。
私はきっと、あぐらをかいた父の胸に背中をつけるようなかたちで座り、
絵本を読んでもらっていたのだろう。たぶん三歳か四歳くらいのときのことだ。
『おそばのくきはなぜあかい』。石井桃子・作、初山滋・絵のこの本を、私は
今でも捨てきれずに持っている。子供のころの私は、閉じられていない輪や、
角の直角でない紙や、目と鼻と口の位置が普通でない顔の絵などが大嫌いだった。
それなのになぜか、奇怪で難解なところさえある彼の絵だけは、好きだったのだ。
 この絵本は、「昔々大昔、草や木がまだ口をきいていたころのお話です」と
始まる。冬のさなか、川のほとりで蕎麦と麦が話をしているところに老人が
やってきて、川を渡して欲しいと言う。麦は寒さを理由に断るが、蕎麦は着物の
裾をからげ、老人を背負って荒れた冷たい川に入っていく。
 蕎麦は、ひょろりとした緑の線で描かれている。その彼に背負われた、
紙細工のような老人。水面の表現は伝統的な波濤紋を少し散らしただけの
奔放な波線だ。それなのに彼らはまるで今にも動き出しそうに見えたし、
川の水はとても冷たく、激しい流れの音まで聞こえてくるようだった。
 絵と文字とのバランスも良い。活字は普通の明朝体だが、ときには絵の上に乗り、
ときには絵の隙間に入り込み、両者が一体となって動きのある画面を構成している。
最近の絵本は、ほとんどが横書きになっているが、漢字仮名混じりの日本語は、
縦書きにしたときにその美しさが一番発揮されると私は思う。
 物語に戻ろう。
 川を渡り終えた老人は、自分が穀物を司る神であると蕎麦に告白する。
さらに彼は、寒さを恐れず親切を尽くしてくれた蕎麦に、夏のあいだ太陽の下で
成長できる運命を授け、不親切で寒がりの麦には、冬のあいだ雪の下で
耐えねばならない運命を与える。そして物語は「あの冷たい川をわたった
おかげで、今でも(蕎麦は)茎の下の方が真っ赤になっているのだと
いいます」と終わっている。
    最後の絵は、茎は赤いが元気のいい蕎麦と、力なく地面にへばりつく、
葉先の黄色くなった麦を、二羽の雀と、頬に手を当てた人間の子供が
興味深そうに見ているところである。この場面では、蕎麦や麦は
擬人化されていない。けれども蕎麦はいかにも楽しげに踊っているようだし、
麦はぐったりとしているように見える。
 幼かった私には、この最後の絵がつらかった。打ちひしがれている麦が
不憫でならなかったのだ。この稿を書くためにこの絵本を読み返したが、
当時の気持ちがよみがえってきて、私はしばらく切ない気持ちで最後の
ページを眺めていた。
 顔のない植物にそれほどまでに感情移入させる初山滋は、「線と色彩の詩人」と
呼ぶにふさわしい画家だ。
 彼は明治30年、浅草に生まれた。日本画を学び、染物屋で友禅の柄を
描いたりしながら暮らしていたという。彼の青春時代は西洋の近代芸術思潮が
さかんに日本に輸入された時期であった。彼の初期の絵を見ると、ビアズリーを
はじめとするアール・ヌーヴォーの影響を強く受けていたことがよくわかる。
 彼の絵には複雑な陰影の表現はない。ぼかしやにじみなどの日本画の手法を
取り入れてはいるが、大概は線と平らな色の面で構成されている。子供の
いたずら描きじみた陽気な線は、けれども非常に的確で、明るい色使いと
あいまって、彼の稚気に富んだ性格を感じさせる。
 彼は他にも数多くの童話の挿絵を手がけているが、その絵は晩年になるに
従ってポップともいえる朗らかさを増していく。が、その人生は平坦ではなく、
死因は燃えさかる焚き火の上に転倒したことによる大火傷だったという。
 この本にはその他『おししのくびはなぜあかい』『うみのみずはなぜからい』の
二本が収録されている。絵はさらに平面的になり、キュビスム的様相を呈していく。
平易な文体で書かれたシンプルな物語と良くマッチし、質の高い一冊に
仕上がっている。(図書館 鈴木明子)

*参考 初山滋の作品
『線と色彩の詩人』
請求記号:BT||E||[1] 資料番号:190332960 緑園1階
『はる・なつ・あき・ふゆ』
請求記号:KM3.72||T139 資料番号:100503090 山手B2階
『智と力兄弟の話』
請求記号:909.31||A53 資料番号:101495710 緑園1階
『たべるトンちゃん』
請求記号:909.31||H42 資料番号:101495780 緑園4階
『トンボの眼玉』
請求記号:909.1||Ki64 資料番号:101495510 緑園4階
『少年漫画集』
請求記号:913.68||Sh96||[12] 資料番号:101563300 緑園4階

*図書館・緑園本館では、4階の絵本のコーナーにたくさんの
 外国語の絵本を配架しています。日本語の絵本は市立図書館などの
 公共図書館が充実していますので、興味のある方は足を運んでみてください。
 (図書館事務室)
Copyright(c) 2000-2006, Ferris University Library. All Rights Reserved.