フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクト「フェリスの一冊の本」
36-6・紹介 宮沢賢治の本〜第4回
読書運動通信第36号掲載記事8件中6件目
特集:学びのコツ(特別寄稿 文学部助教授勝田耕起先生)
紹介:宮沢賢治の本 第4回
お知らせ:秋のイベント
『土神ときつね』
『ビヂテリアン大祭・土神ときつね・雁の童子ほか』収録 ちくま文庫
請求記号 ミ||1||6  資料番号 100071240  緑園2階展示

 この作品は、宮沢賢治の作品のなかで唯一の恋愛童話といわれる。
「樺の木」と、彼女を囲む「土神」と「狐」性格のまったく異なる2人が登場し、
土神のどうにもできない樺の木に対する感情を軸に物語はすすんでいく。
同じものを愛する他者を模倣する愛、という考えがあるが、
この3人もそうといわれている。しかし土神の感情は、そうした原理もなにも
飛び越えてただ「抑えられないもの」「自分を蝕むもの」と描かれる。
宮沢賢治は、自分はすべての人を愛したいから1人の人は愛せない、
と女性の愛を拒んだ、というエピソードがある。「神」である土神は、
言わばすべてを愛することを定められた存在である。それが、樺の木を想い、
狐を憎み、自らの地に入った木樵をぽいと投げる。宮沢賢治の思想、
1人を愛す愛をしてはいけない、「みんなの幸」のために自分は生きる。
この物語は、それを恐ろしいまでに具現化しようとしているのだ。
一方、狐は物知りで、樺の木は彼を尊敬しているが、
見栄をはってしまうところがあり、樺の木にときどき嘘をついてしまう。
作品の最後、土神に追い詰められた狐は、樺の木に
「望遠鏡がじき届くから見せてあげよう」と届きもしないのに
言ってしまった嘘をひきずり、「もうおしまひだ、もうおしまひだ、
望遠鏡、望遠鏡、望遠鏡」と繰り返す。土神に追い詰められているにもかかわらず、
彼が追われていると感じるのは望遠鏡、自分がつくったしばりである。
土神と立場は異なるが、自らの「愛する者のために自分をよくみせよう」
という感情を抑えられず、土神に殺されるが、自滅しているのだ。
狐の屍体が「うすら笑ったやうに」なっているのは不気味だ。
自らの呪縛から解き放たれた喜びとも、死ななければそれが解かれない皮肉とも、
土神への復讐とも、様々とれる。そして私たちに訴えかける。
 なにかよくわからない、賢治作品の闇のなかに、最後に降るのは
雨のような土神の泪である。それは土神や狐に託された賢治の凝り固まった
感情を洗い流しながらも、狐のうすら笑いをさらに濃くする。
拭い去れない苦しみを、一筋の泪を闇に通すことでくっきりと
私たちに見せているのだろう。
                   (日文3年 吉澤小夏)
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